Q.古代人が水銀を飲んでいたというのは、ほんとうですか?【レファレンスQ&A】
考古・保存科学担当 魚島純一
この質問に対するお答えは「はい」です。もっと正確には、おそらくほんとうだろうと思われます。と言っても、体温計などの中に見られる銀色の液体金属である水銀(すいぎん)そのものを飲んでいたのではなさそうです。
古代中国の神仙思想(しんせんしそう)では、朱(しゅ)が仙薬であるとされ、いわゆる「不老長寿(ふろうちょうじゅ)」の妙薬であるとされていたのです。朱とは硫化水銀(りゅうかすいぎん)のことで、辰砂(しんしゃ)といわれる鉱物(こうぶつ)からつくられる鮮やかな赤色の顔料(がんりょう)のことです。「水銀」とつくので中毒をイメージしてしまいますが、硫化水銀は無機(むき)水銀で、水俣(みなまた)病を引き起こした有機(ゆうき)水銀とは遣います。
図1辰砂原石
わが国で辰砂が便われはじめたのは、縄文時代後期にまでさかのぼります。漆(うるし)に混ぜて着色剤として使われたり、土器などに塗られていたことが、出土する遺物から確認されています。これより以前からも赤い顔料はありました。ぞれはベンガラと呼ばれているもので、鉄サビと同じような成分の酸化第二鉄(さんかだいにてつ)です。辰砂とベンガラは同じ赤色の顔料ですが、辰砂は限られた場所でしか採れないのに対して、ベンガラは比較的どこででも採れたため、圧倒的に多く用いられていたようです。入手の難易から考えても、辰砂は圧倒的に貫重なものだったはずです。
古くから、死者の埋葬(まいそう)に赤い顔料を使う風習があったようですが、この風習はいったんすたれてしまいます。弥生時代の終わりごろになって、九州の北部などを中心に再び、埋葬に赤色の顔料を使う風習が見られるようになります。同じ頃、中国から神仙思想が伝わり、朱が珍重されるようになります。しかし、神仙思想では赤色の顔料として朱が珍重されたのではなく、朱そのものが持つ性質、すなわち、熱すると銀色の液体となったり、黒や白、黄色と変色し、再び硫黄(いおう)を混ぜると鮮やかな赤色の朱になるという性質が、古代の人にはさも不老長寿を連想させるような不思議な物体としてとらえられたのだと言われています。
しかし、朱の持つ本来的な意味が理解されるようになるのは、おそらく弥生時代の終わりから古墳時代のはじめにかけて、首長(しゅちょう)個人の埋葬に大量の辰砂が使われるようになったときであろうと思われます。このころには、辰砂は一部の権力者によって独占されるようになり、生前は仙薬として服用していたことも十分考えらます。そして、死後は権力の象徴として築かせた巨大な墓の中で、これまた権力の象徴である朱に彩られた墓室(ぼしつ)や棺(ひつぎ)の中ても永遠の眠りについたのでしょう。
図2阿南市若杉山遺跡出土石臼・石杵
図3辰砂で赤く染まった石杵