人形浄瑠璃芝居上演用に見事変身! 今山の農村舞台【速報】
民俗担当 庄武憲子
去る1月19、20日に、勝浦町今山今宮(かつうらちょういまやまいまみや)神社に残る農村舞台が、約70年ぶりに人形浄溜璃芝居を上演していた当時の形に、地元の人達の手によって復元されました。その作業の様子を紹介します。
農村舞台は江戸時代頃から、村人が歌舞伎や人形芝居を上演し楽しむために、各地に設けられた舞台です。人形浄瑠璃定居が盛んであった徳島県にはたくさんの農村舞台があったことが知られています。けれども、現在定期的に舞台として使用されているのは、犬飼(いぬかい)の農村舞台と坂州 (さかしゅう)の農村舞台の2つだけで、現存はしていても多くの農村舞台はひっそりと眠り、人々の記憶から薄れていきつつあリます。
今山の農村舞台も長い間雨戸を閉ざして建っていました。今回、舞台としての形に復元することとなったきっかけは、徳島市出身で東京理科大学大学院在学、川上光洋氏の調査・研究によってこの舞台が「仮設式舟底舞台」とされる特徴的な形式を持つものだとわかったことです。
農村舞台には、大きく分けて、床全面が平らな平舞台と人形走居上演向けの、床面に上段、下段の段差を持つ舟底舞台と呼ぶ形式があります。今山の農村舞台は平常時は平舞台ですが、人形芝居を行う時には床に段差を設け舟底舞台に転換できるしくみになっています。このようなしくみをもつ「仮設式舟底舞台」の現存数は非常に少なく、本来のしくみを維持しているのはこの今山の舞台と他に群馬県赤城村にある上の森の農村舞台が確認されるだけだということです。
川上氏から今山の農村舞台の意義を聞いた、今山在住で人形座勝浦座に在籍している新居福夫氏が地区の人々に声をかけ、他に山本靖広(区長)、前野善弘(宮総代)、岡田勤(宮総代)、田中実、今岡重幸、大久保巌、山畑和男、中野清、山村治、山村英男の諸氏が、地区の舞台の本来の姿を取り戻してみようと休日に集まり、川上氏とともに平舞台から舟底舞台への転換という復元の作業が行われました。
地区の人々の息のあった共同作業、培(つちか)われてきた記憶と技術が重なり合って見事に舞台は人形走居向けの舟底舞台に変身し、「仮設式舟底舞台」の機能が蘇(よみがえ)りました。 作業の後には勝浦座より借り受けた人形が地元の人達によって舞台上で操られました。
参考文献 川上光洋・川向正人「舟底舞台(仮設と固定)形式と人形芝居専用化について 阿波の農村舞台の空間転換機構に関する研究」『日本建築学会計画系論文集第552号』2002年