長篠(ながしの)合戦図屏風(大阪天守閣蔵)【表紙】
歴史担当 山川浩實
甲斐国の武田勝頼の騎馬隊と、織田信長-徳川家康連合軍の鉄砲隊による長篠合戦の様子を描いた屏風。
天正3年(1575)、織田・徳川連合軍は、武田軍によって包囲された三河国の長篠城を奪還するため出陣しました。武田軍はこれを迎え撃っため、長篠城の西方に位置する設楽原(したらがはら)に布陣し、両者は連吾(れんご)川を挟んで対峙(たいじ)しました。連合軍は空堀・馬防柵・土居(どい)を築き、多数の鉄砲隊を組織しました。そして約3千挺といわれる鉄砲を使用し、武田軍の騎馬隊を攻撃しました。この様子を描いたのが、本図です。戦いは1日で終わり、当時、天下無双を誇った武田軍の騎馬隊は、新兵器の鉄砲によって、壊滅的な打撃を受けました。
長篠合戦のあたえた影響は極めて大きく、この戦いによって武田氏の勢力は弱体化し、7年後に滅亡しました。一方、この戦いに勝利した信長は、本格的な全国統一事業を押し進めたのです。