博物館ニューストップページ博物館ニュース078(2010年3月25日発行)中世の大量出土銭の謎-かくし銭?まじないの道具?-(078号CultureClub)

中世の大量出土銭の謎(なぞ)-かくし銭?まじないの道具?-【CultureClub】

考古担当 高島芳弘

平安時代の末から中世にかけて、国内では貨幣(かへい)の鋳造(ちゅうぞう)は行われなくなり、主に中国から輸入された銭が使われるようになりました。中世の城跡や港町を発掘調査すると、建物跡や墓穴、ゴミ穴などから古銭が発見されます。これらとは別に大量の古銭が、甕(かめ)などの容器にまとめて入れられ、埋められている場合があります(図1・2)。大量出土銭の枚数、種類、埋められた時期などについて考えてみましょう。

図 2 根井古銭の備前壺

図 2 根井古銭の備前壺

 

徳島県内では、表1のとおり8カ所で確認されています。海陽町大里(かいようちょうおおさと)(図3)が70,088枚と飛び抜けて多く、四国で1、2を争う数で全国でも10番目までに入ります。日本で一番多いのは北海道函館市の志海苔(しのり)の古銭で、374,436枚が残されています。

古銭の種類は主に唐、宋、明の時代の中国銭でほかに高麗(こうらい)・李氏朝鮮(りしちょうせん)、安南(あんなん)(ベトナム)、琉球(りゅうきゅう)(沖縄)の古銭などがあります(図4・6)。

 

図 3 大里古銭出土地

図 3 大里古銭出土地

 

図 4 埋納数の多い古銭(左から開元通宝、皇宋通宝、熈寧元寳(きねいげんぽう)、元豊通宝、永楽通宝:すべて小松島市根井出土)

図 4 埋納数の多い古銭(左から開元通宝、皇宋通宝、熈寧元寳(きねいげんぽう)、元豊通宝、永楽通宝:すべて小松島市根井出土)

 

図 6 埋納数の多い古銭の初鋳年

図 6 埋納数の多い古銭の初鋳年

 

銭は、だいたい100 枚を一括(ひとくく)りとして紐(ひも)に通され『緡(さし)』として流通しており、この状態のまま埋められました(図5)。
埋められた古銭の中には、中国銭本銭ばかりでなく、中国や日本で私的につくられた銭もあります。鎌倉、京都、堺などで銭の鋳型が見つかっています。これらの銭は、当時、鐚銭(びたせん)と呼ばれ、現在でも「鐚一文まけない」などの慣用句の中に残されています。

 

古銭が埋められた時期は、いちばん新しい銭が初めて鋳造された年よりは古くはなりません(図6、表1)。容器である焼き物の製作年代からも推定されます。

具体的に埋納年代の分かるのは、香川県さぬき市志度(しど)町の長福寺から出土したものです。備前焼の壺に9,000 枚の古銭と木簡(もっかん)がいっしょに入れられており、木簡には「九貫文花厳坊賢秀御房」「文明十二年三月十九日敬白」と書かれていました。誰が何枚埋めたのかまで分かります。文明十二年は西暦では1480 年です。

これらの出土銭が、交易の成果としての備蓄銭(びちくせん)として埋められたのか、地鎮祭(じちんさい)などのまじないを伴う埋納なのかは、はっきりとしないものが多くあります。江戸時代以降、古銭をまとめて埋めるという風習が廃れたせいかもしれません。いろいろな地域で出土例は増えていますが、意義付けについては、解決しなければいけないことがまだまだ残っています。
(考古担当)

表1 徳島県下の大量出土銭
出土地 枚数 最古銭 最新銭 容器 埋納時期
海陽町大里 70088 貨泉(新) 至大通宝(元) 備前大甕 14世紀後半
阿南市長生 26338 開元通宝(唐) 世高通宝(琉球) 備前大甕 15世紀後半
海陽町船津 約20000 不明 不明 不明 不明
徳島市一宮 17178 四銖半両(前漢) 至大通宝(元) 素焼き壺 14世紀後半
神山町神領 約15000 不明 不明 不明 不明
徳島市寺山 3699 五銖(後漢) 至大通宝(元) 木質容器 14世紀
小松島市根井 1607 開元通宝(唐) 永楽通宝(明) 小型の備前壺 15世紀前半
美馬市重清城名 約1000 開元通宝(唐) 宣徳通宝(明) 素焼き壺 15世紀後半

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