徳島県立博物館 事始め【特集】

植物担当 小川誠

はじめに

徳島県立博物館は今年、開館30周年を迎(むか)えました。筆者はその準備時代からかかわってきました。当時いた職員の多くは定年を迎えて、筆者が最年長となり、開館前後のいきさつを知る人も少なくなってきました。博物館をつくるということは、滅多にあることではないので、その頃のことを紹介します。

文化の森建設事務局

筆者は、1988年に徳島県文化の森建設事務局に着任しました。ここでは、博物館を含む文化の森の開設準備をしており、県庁の10階で仕事をしていました。文化の森は複合施設(ふくごうしせつ)として構想され、同じ公園の中に、図書館、近代美術館、文書館(もんじょかん)、そして当時は文化情報コアと呼ばれていた二十一世紀館が同時に建設されていました。各館や建築関係の職員の中で、毎日いろいろな作業をこなしていました。県庁のフロアでは水を使った作業などはできませんので、近くにある南会議室という平屋の建物で、標本作成や文献収集などの作業を行っていました。また、人文系の学芸員は旧館である徳島県博物館で作業をしており、必要に応じて打ち合わせの会議が開かれていました。

着任当時はすでに建物や展示の図面はできており、工事が始まっていました。ただ、学芸員はまだ全員がそろっておらず、自然系では、7名採用予定のところ、地学担当、昆虫担当、脊椎(せきつい)動物担当そして植物担当の4名で作業を進め、オープンまでに少しずつ採用されていきました。

展示をつくる

筆者がまずやらなければならなかったのが、展示をつくるということでした。資料収集展示委員会(しりょうしゅうしゅうてんじいいんかい)という会議で、専門家の方々から意見をうかがい、展示の図面やリストもできていました。これに沿って粛々(しゅくしゅく)と作業すればよいかというと、実際にはそう簡単ではありませんでした。

まずは、展示設計の見直しでした。実現できるのかという視点から、テーマや資料を見直しました。例えば、種分化(しゅぶんか)の展示で「倍数化による分化」として、徳島県ならではのナカガワノギクの展示を加えました。いろいろ新しい展示を考え、図面も書いた記憶があります。しかし、展示をした経験はまったくなく、教科書のイメージで図や写真を多用していたところ、先輩(せんぱい)職員からモノ(資料)を中心に展示しないといけないと教わりました。このモノが曲者(くせもの)で、植物の場合は押し花標本になりますが、あまりきれいではないのと、長期の展示に向かないということで、レプリカや模型(もけい)をつくることになります。しかし、すでにそれらに使える予算も決まっていましたので、あまり増やすことはできませんでした。植物の展示方法については当時から課題でしたが、今では凍結乾燥(とうけつかんそう)標本やハーバリウムなどの液浸(えきしん)標本、アクリル封入(ふうにゅう)標本など選択肢(せんたくし)はいくつかできてきました。しかし、費用がかからず、見栄えよく、長持ちするものという点では決定打に欠けています。

では、実際に行った作業を紹介します。植物レプリカの展示では、まず材料を集めることから始まります。しかし、リストに挙がっていた資料のほとんどが、徳島に住んだことがなかった筆者にとって初めて見るものなので、生育場所の情報を収集することから始まります。文献で調べたり、地元の方に聞いたりしながら、場所と花期を確認し採集に行きました。その際、採集許可(さいしゅうきょか)をとらなければならない場合はその手続きをしました。

レプリカをつくるには高度な技術が必要で、専門業者につくってもらいます。花びらや葉などのパーツに分解し、寒天(かんてん)などに埋めて型を取ります(図1)。それをもとに樹脂(じゅし)で花や葉をつくり、着色し、組み上げます。気の遠くなるような細かい作業です。

図1 花びら1枚1枚を寒天に埋めて、型をとる

図1 花びら1枚1枚を寒天に埋めて、型をとる

 

さらにジオラマとなると、もっと作業が増えます。担当した展示では、ブナ林と照葉樹林(しょうようじゅりん)のジオラマがありました。照葉樹林のジオラマは縄文(じょうもん)時代の気候が温かくなった時期で、縄文人が狩りから帰る場面でした。まず、文献を調べ、専門家の意見を聞いて、現在の森とほぼ変わらないことがわかりました。そこで、現在の照葉樹林を元に図面をかきました。小さな植物のレプリカは全体を樹脂で作りますが、木のレプリカは本物に見えるよう、木の幹や枝は実物を使いました。そこで、営林署(えいりんしょ)や森林組合の協力を得て、木の幹を切りました。切った幹はそのままだと割れてしまうので、見えない側に縦に切れ目を入れて乾燥させました。幹を立てて、葉をつけた枝を組み込んでいきました(図2)。草のレプリカを取り付け、最後に実物の落ち葉や朽木(くちき)を敷いて完成しました(図3)。

図2 照葉樹林のジオラマの幹を立てる

図2 照葉樹林のジオラマの幹を立てる

 

図2 照葉樹林のジオラマの幹を立てる

図2 照葉樹林のジオラマの幹を立てる

 


レプリカは本物そっくりに見えます。来館者から「水やりはどうするのか」と聞かれるとついうれしくなって、「大変なんですよ」とか答えて、「実は作りものだ」と訂正すると、驚(おどろ)かれます。

建物をつくる

展示以外にもやらなければならない作業がたくさんありました。建物をつくるという作業です。でも我々がつくるわけではなく、図面をもとに建築関係職員と話しをしていきました。例えば企画展示室の配線をどうするのかの打ち合わせでは、通常は展示室内の電源は外から一括(いっかつ)で消すのですが、それでは消えないコンセントを一部設けて、生き物の展示に対応できるようにしました。

部屋を変更したこともありました。植物標本は大型乾燥機で乾燥させるのですが、その場所が確保されていなかったので、分析機器を置く予定の部屋を植物標本作成室に変更しました。そして、文献や顕微鏡(けんびきょう)などを置き整備して、温度や湿度が上がりすぎないように換気扇(かんきせん)をつけました。

建物だけでなく、内部に入れる棚や機器などもリストアップし、購入手続きをしていきました。

課題が山積みの日々を送る

それ以外にも課題が山積みの日々を送っていました。例えば、旧館から資料などを移転する作業がありました。また、その標本を整理し、データベースをつくる作業もやっていました。さらに、大型コレクションも受け入れました。

その合間を縫(ぬ)って、東京で行われた学芸員研修に行かせていただき、ほかの博物館の見学や同業者と知り合って情報を得たりもしました。当時は参考となる文献が少なかったため、神田の古書店で「植物の世界」というシリーズの本を全巻買ったら、帰りの徳島空港から駅までのバス代がなかったという、今では笑い話になるようなこともありました。

地元の方々に支えられながら、建物ができ、標本や研究機器、文献がそろい、学芸員も増え、博物館の体裁(ていさい)が徐々に整っていきました。

おわりに

現在、博物館は30周年を迎え、初めての大規模(だいきぼ)な常設展リニューアル作業を行っています。さらに、今年度から、教育委員会より知事部局の未来創生文化部(みらいそうせいぶんかぶ)に移管(いかん)され、新たな時代を迎えています。今後も県民の皆様の協力を得ながら、県民の宝物である資料を展示したり、調査研究し、活用しながら保存して次世代につないでいきたいと思っています。

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