兵庫県南部地震の調査― これまでの仕事の中で、もっとも印象に残っていること―【特集】
地学担当 中尾賢一
1995(平成7)年1月17日の早朝、大きなゆれで布団から飛び起きました。兵庫(ひょうご)県南部地震 (震災(しんさい)としては阪神淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)の発生でした。
やや落ちついた1月28日になって、両角芳郎(もろずみよしろう)さん(自然課長:当時)から淡路島に野島断層(のじまだんそう)の調査に行かないかと言われ、二人で淡路島に行くことになりました。当時、私は地震や震災、地震に関する地質学的な現象にはあまり興味がなかったのですが、この調査で認識が変わりました。そのことを書くことにしましょう。
私にとって初めての淡路島でした。西海岸沿いの国道31号線を北上しながら断層を探し、追跡(ついせき)しました。その途中で、重い屋根瓦(やねがわら)を葺(ふ)いた古い建物の多くが倒壊(とうかい)したり、鉄筋(てっきん)コンクリートの柱が壊れ「立入禁止」の札が貼られているのが目につきました。また、震災で壊れた建材や家具を焼く煙で、自動車の視界が遮(さえぎ)られることもたびたびでした。それまでに見たことのない状況で、地震の恐ろしさを初めて実感しました。
野島断層は淡路市(当時は津名(つな)郡)北淡(ほくだん)町の山地の境界(きょうかい)近くに現(あらわ)れ、右横ずれしているのが確認できました。とくに野島平林(のじまひらばやし)では、野島断層は右横ずれを伴ともなう逆断層(ぎゃくだんそう)として大きく地表に現れていました。山道の一部に現れた断層露頭(ろとう)周辺では、垂直方向に約1.2m、水平方向に約2mの変位がありました(図1、2)。後になって分かったことですが、野島断層の最大変位量を記録したのがこの場所でした。
図1 山道に現れた野島断層(北淡町野島平林)
図2 オーバーハングした逆断層面(図1の黄色矢印部分)
このとき、私にとっては目を見張るような発見がありました。断層運動により、山側が高くなっているのです。これが何度も繰り返されて、現在の淡路島の地形ができたことが直感的に理解できました。同じことは野島断層だけでなく、各地の活断層でも起こっているに違いありません。
地震は、本当に怖いものです。しかし、地震がなかったとしたら、私たちが生活する土地や、ふだん目にしている地形が存在しないのです。そのようなことを、このときに学びました。