Q.四国遍路は、いつはじまったのでしょうか。【レファレンスQ&A】

歴史担当 長谷川賢二

A.空海(くうかい)(弘法大師(こうぼうたいし))が四国遍路をはじめたとよくいわれますが事実ではなく、現在のような88か寺をまわる四国遍路の確かな起源はわかりません。

ここでは、四国遍路の成立につながっていくと考えられている宗教者や霊場の動向を、時代をおって紹介していきましよう。
古代末から中世にかけて聖(ひじり)といわれる民間宗教者の活動が目立つようになりますが、12世紀には彼らの修行場として「四国辺地」がありました。これは、四国の海岸部をめぐる修行の道でした。
いっぽうで、11世紀に空海信仰がさかんになり、空海が讃岐の出身だったこともあって、四国はとくに重視されました。現在の88か所霊場に含まれている太龍寺(21番)、金剛頂寺(26番)、曼荼羅寺(まんたらじ)(72番)、善通寺(75番)などは、この頃、空海信仰の霊場として地位を固めたようです。しかし、「四国辺地」との関係はわかりません。
中世には、山伏(やまぶし)が「四国辺路」を行いました。これは、四国を旅する修行と思われます。山伏は聖の一種でもあり、霊場を渡り歩いて修行をしましたが、同様の旅の宗教者として時衆聖(じしゅうひじりや)六十六部聖がありました。時衆聖の祖である一遍は、山中にある岩屋寺(現在は45番札所)で修行したり、熊野へ詣でたりしました。また、六十六部聖は、中世後期から近世にさかんでしたが、近世初頭の四国における彼らの霊場には、現在の四国遍路の札所寺院でもある、太龍寺(21番)、竹林寺(31番)、雲辺寺(66番)がありました。
以上のことから、「四国辺地(辺路)」をベースに、様々な聖たちの活動や空海信仰が連鎖的に複合し、88か所霊場をまわる四国遍路がはじまっていったと考えられます。


ところで、高知県本川村越裏門地蔵堂の鰐口(わにぐち)銘(1471 [文明3]年)には、「村所八十八ケ所」とあります。これが88か所のミ二チュアを指すのなら、四国遍路のはじまりは、銘の年代以前のこととなりますが、真偽のほどはわかりません。
(歴史担当 長谷川賢二)

カテゴリー

ページトップに戻る