博物館ニューストップページ博物館ニュース039(2000年6月25日発行)初代天狗久作娘頭(むすめがしら)・初代天狗久関係写真(039号館蔵品紹介)

初代天狗久作娘頭(むすめがしら)・初代天狗久関係写真【館蔵品紹介】

民俗担当 庄武憲子

初代天狗久(てんぐひさ)は、阿波でもっとも名の知られた人形師です。安政5 (1858)年に生まれ、明治6 (1873)年に16歳で弟子入リして以来、昭和18(1943)年86歳でなくなるまで、70年余の間、一筋に人形頭の製作に打ち込みました。数多く残された美しい頭はいうまでもなく、人形筋に打ち込む初代天狗久、その人の生きざままでもが、多くの人を魅了(みりょう)したようです。特に、作家宇野千代が、天狗久をモデルに「人形師天狗屋久吉」をあらわしたことはよく知られています。

さて、ここで紹介する資料もまた、天狗久その人にひかれた人物があったことを示すものです。これら資料は、昨年12月末に、日本画家・故野島青茲氏(1915-71) の長女野島直子氏から「天狗久の故郷徳島で役立ててください」と寄贈されたものです。

図1 野島画伯が初代天狗久から譲りうけた娘頭

図1 野島画伯が初代天狗久から譲りうけた娘頭

野島画伯(がはく)は、数多くの作品を残し、昭和19(1944)年から24(1949)年に法隆寺金堂壁画模写に従事するなどの高名な日本画家です。

調べたところ、野島画伯は昭和17(1942)年、天狗久の土房に訪問、滞在しており、初代天狗久の姿や、工房の様子のスケッチなどを行っていたようです。それを基にした作品「工房」が、昭和18(1943)年に第六回新文展に出品されています。

寄贈された資料のうち、娘頭は、野島画伯が天狗久の工房を訪れた際に、初代天狗久から譲りうけたものです。明治32年の墨書があり、「義経千本桜」のお里、もしくは「新版歌祭文」のお光であると考えられます。また、写真の方には、野島画伯が天狗久をスケッチしている場面などがあり、訪問当時の初代天狗久や工房の様子がわかります。

図2 初代天狗久をスケッチする野島画伯

図2 初代天狗久をスケッチする野島画伯

図3 初代天狗久をスケッチする野島画伯

図3 初代天狗久をスケッチする野島画伯

 

図4 野島画伯が撮影したと考えられる初代天狗久の手

図4 野島画伯が撮影したと考えられる初代天狗久の手

これらは、初代天狗久の支友関係や人となりをより詳しく知るための貴重な資料となりそうです。

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