中央構造線に沿う断層変位地形【野外博物館】
地学担当 両角芳郎
博物館二ユースNo.23では、三野町芝生(しぼう)の”中央構造線”の露頭(ろとう)について紹介しましたが、今回は中央構造線にともなう断層蛮位地形の紹介です。
阿讃山地の南麓では、山地と平野部の境界を中央構造線が東西に走っておリ、それに沿って断層露頭や断層変位地形が観察できます。中でも、日開谷(ひがいだに)川と曽江谷(そえだに)川にはさまれた区間(市場町上喜来-阿波町土柱)は、断層による変位地形が県下では最も顕著に認められるところです。
まず、日開谷川東岸の丘の上から西を眺めてみましょう。山地と平野部(扇状地) が直線的に画されており、その境界の上を徳島自動車道が走っているのが見えます(図1)。ここは、中央構造線の活断層系のうち、父尾(ちちお)断層が通っているところで、それが地形に反映されているのです。徳島自動車道ができる前は、もっとはっきりと見ることができました(図2)。
図1 日開谷川東岸の丘のよから西方を望む(1997年4月)。
図2日開谷川東方上空から西方を望む(1990年11月)
山地と平野部の直線的境界の東側への延長線上を注意深く見てみましょう。木の茂った緑の細い帯が東へのびているのが認められます。そこは、低位段丘を切る比高3~4mの段差があるため、宅地や田畑にならずに残されたところです。これは父尾断層の活動によってできた低断層崖だと考えられています(図3)。さらにその東方延長の沖積面の上で、徳島自動車道の工事の際(1991年)に、田んぼを掘って断面を調べる卜レンチ調査が行われたことがありました。その際、沖積層を切る新しい断層が見つかりました(図4)。いっしょに発見された土器片の年代から、この断層は16世紀以降に発生した地震によるものだと考えられています。
図 3 低位段丘を切る低断層崖。左側は徳島自動車道工事で新しくできた土手 (甫場町上喜来)
図4トレンチ調査で現れた父尾断層の新しい活動の跡。右(南)側が1mあまり落ち込んでいる。
その他、この地域では、山地から平野部に流れるほとんどの沢や河川が、父尾断層が通るあたりでクランク状に屈曲しているのが見られます。父尾断層は、第四紀に入ってからは右横ずれ運動をしており、河川の右ずれ屈曲は父尾断層の活動の集種の結果だと解釈されます。