博物館ニューストップページ博物館ニュース023(1996年7月1日発行)徳島自動車道の工事と中央構造線の露頭(023号情報ボックス)

徳島自動車道の工事と中央構造線の露頭【情報ボックス】

地学担当 両角芳郎

徳島自動車道はすでに徳島-脇の区聞が開通し、現在、脇以西の工事が進められています。この高速道路は、徳島市から板野町までは徳島平野を横切リ、それ以西では阿讃(あさん)山地の南縁を通ります。よく知られているように、阿讃山地と吉野川がつくる平野部との境界には、中央構造線が東西に走っています。したがって、板野町以西の徳島自動車道は、ほぼ中央構造線の上を通ることになります。

中央構造線とひとくちにいっても、領家(りょうけ)帯と三波川(さんばがわ)帯との地質境界断層(県下では和泉(いずみ)層群と三波川変成岩類との境界に当たる)、または、現在でも活動しいる活断層系という2つの意味あいがありますが、ここではまとめて中央構造線とよんでおきます。現在工事が進められている脇町(わきまち)以西では、平野部が急に狭くなり、山地が吉野川のすぐそばまでせまってきます。その境界に沿って、数多くの中央構造線の断層露頭(ろとう)や、中央構造線の活動に伴う断層地形が知られています。池田の市街地を東西に横切る断層崖(がい)、三好町昼間の河床で見つかった和泉層群と三波川結晶片岩(へんがん)類の接触部、「太刀野の中央構造線」として県指定の天然記念物となっている三野町の断層角礫(かくれき)を伴う破砕(はさい)帯はとくに有名です。このあたりでは徳島自動車道はまさに中央構造線の真上を通ることになります。三野町芝生(しぼう)の”芝生衝上(しょうじよう)”も、そうした露頭のひとつです。”芝生衝上”は、北側の和泉層群が南側の第四紀礫層(土柱層)に乗り上げている断層露頭として、1949年に命名されたもので、第四紀前半の中央構造線の活動を示す露頭として有名です。

今年1月、私は行事の下見を兼ねてこのあたりを車で走っていたとき、徳島自動車道の橋脚工事で”芝生衝上”付近の丘陵(きゅうりょう)部が大きく削られているのを目にしました(図1)。そして、2月に許可を得て中に立ち入り、露頭を観察する機会を得ました。丘陵部はおもに和泉層群の泥岩の破砕物から成り、ところどころにブロック化した砂岩がはいっています。そして、断面には侵食面のような波状の面が観察されます(図2)。幅100mにも及ぶ黒色の破砕物全体が断層による破砕帯とは考えにくく、これらは地すべり性の堆積物ではないかという印象をもちました。第四紀の礫層との接触面は残念ながら露出していなかったため、今後の掘削(くっさく)の進展を待って観察したいと思います。

図1三野町芝生の工事現場。右側がかつての「芝生衝上」の路頭

図1三野町芝生の工事現場。右側がかつての「芝生衝上」の路頭

 

図2 地層の断面

図2 地層の断面 原形をとどめないほど破砕された砂岩泥岩互層から成り、中ほどに侵食面らしし1面がみえる。右下の白っぽい部分は砂岩のブロック。

 

実は最近、阿讃山地南麓のいろんな場所で、和泉層群と第四紀層との接触関係を再検討する研究が行われ、それらは断層関係ではなく、第四紀際層の中に和泉層群の地すべり岩体がすべり込んでいる、という解釈もされています。そして、第四紀前半(菖蒲谷時階(しょうぶだにじかい)とよばれる時期)の中央構造線の活動様式の見直しが必要になってきています。

このように、徳島自動車道はこれまでに知られていた中央構造線の露頭を削り、あるいは新しい露頭をつくりだしながら工事が進められています。この機会に、新しく現れた露頭を観察し記録しておく必要があると考えています。

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