ハイガイとその化石【館蔵品紹介】
地学担当 中尾賢一
穀(から)が厚く、18本前後の強い放射肋(ほうしゃくろく)(うね)がある二枚貝です。殻を焼いて石灰をとったことから灰貝の名がついたといわれています。内湾奥の泥干潟(図1)を生患域にしていて、泥の中になかばうずもれるような姿勢で生息しています。典型的な亜熱帯の貝で、現在はおもに東南アジアや朝鮮半島、中国大陸沿岸に分布しています。近いなかまに、ア力ガイやサルボウなどがあります(図2)。これらは殻の形が互いによく似ています。また、血液中にヘモグロビンを持っていて、肉が赤みを帯(お)びている点でも共通しています。ア力ガイは刺身(さしみ)や酢の物・すし種などの生食用に、サルボウは佃煮(つくだに)や「アカガイの缶詰(かんづめ)」などの加工用として漁獲(ぎょかく)されます。ハイガイも食用になりますが、近年の日本では食材としてはあまり利用されなかったようです。
図1 ハイガイが生息する泥干潟(有明海)
図2 ハイガイ(左上)、サルボウ(左下)、アカガイ(右)
ハイガイの化石は関東以南の地方では珍(めずら)しくありません。今から約1万年前、氷期が終わって海水温が上昇するにつれ、ハイガイは日本列島の南から北へと分布域を拡大(かくだい)していったことが知られています。約6000年前には東北地方にまで分布を広げましたが、その後は泥干潟の消滅や海水温の低下にともなって分布域が南にせばまっていきました。とくにこの数十年間の西日本の沿岸地域では干拓(かんたく)や人の手による埋め立てが進み、各地に点在していた生息地と個体数が激減しました。たとえば1997年に行われた長崎県諌早(いさはや)湾干拓にともなう潮止(しおど)め工事では、およそ1億個体のハイガイが死滅したと考えられています。現在、国内で確実に生息している場所は、有明海と瀬戸内海のごく一部だけになっています。
徳島県内には現在ハイガイは生息していませんが、貝塚や地下の地層からは貝殻がたくさん出てきます。図3の標本は徳島市西須賀町の地下の地層から出てきたものです。年代測定の結果、約3000年前のものであることがわかりました。周囲の地形やいっしょに産出した貝化石の組み合わせから、この場所に広がっていた泥干潟に生息していたハイガイがそのまま埋もれたものと考えています。
図 3 ハイガイ化石(徳島市西須賀町)
徳島でのハイガイの絶滅時期は不明ですが、かなり古びた貝殻が現在でも海岸でひろえることから、数百年くらい前までは生息していたのではないかと考えています