Q.「シカノアクニチ」とはどういう日ですか?【レファレンスQ&A】
民俗担当 庄武憲子
A 「シ力ノアクニチ」とは3月3日のひな祭リの翌日、つまり3月4日のことを言います。3月4日をシ力ノアクニチという風習は岡山県にも例がありますが、徳島県に特徴的に見られるものです。言い伝えて、は、「シ力ノアクニチは何をしても悪い日なので、3月3日の続きで花見遊山(ゆさん)をして暮らす」などとされています。またシ力ノアク二チは、皆が集まって四国遍路にお米、お菓子、草鞋(ぞうり)などの品物を進呈する「お接待(せったい)」を行う日とする所もあリます。なぜこのような風習があったのでしょうか?
まず、ひな祭りから説明します。3月3日は、上己(じようし)の節供(せっく)といって、古くは人形(ひとがた)を作つでそれに人聞についた悪いもの、病(やまい)や災(わざわ)いを移し、川や海に流すという祓(はら)い清(きよ)めの意味をもっ儀礼が行われました。この儀礼が菱化していって、美しい人形を飾ってお祭りをするという現在のひな祭りの形になったと言われています。もう一つ3月3日ごろ「磯遊び」「山遊び」となどといって景色のいい場所に行って遊ぶ風習があリました。これには、春が訪れて漁や農作が本格的に忙しくなっていくのに先だって、準備を意味する儀礼であったことが言われています。このような風習が盛んに行われていたころは、現在の暦(こよみ)の3月3日ではなく、旧暦(きゅうれき)の3月3日に行われていました。旧暦の3月3日は現在の3月の終わりから4月初めごろになります。旧暦に合うようにひな祭りを4月3日に行う所が今でもあるかと思います。この時期は、桜をはじめ様々な春の花々が咲き乱れだす時期で、「磯遊び」「山遊び」には花見などの行楽をかねることが少なくありませんでした。
図 1 シカノアクニチに欠かせない遊山箱(芝原生活文化研究所蔵)
さて、シ力ノアクニチです。説明しました通り、3月3日は本来祓い清めや農作の準備などの意味をもった儀礼の日でした。重要な儀礼日の翌日も本来は仕事を休んで身をつつしむという神聖な日であったとされています。これが転じてシ力ノアクニチとなり、時候のいいのと重なって、「花見遊山をして暮らす」とか「お接待」の日になったと考えられます。とくに徳島では、大人も子供も遊山箱(ゆさんばこ)という手提(てさ)げの弁当箱をめいめい持って楽しく出かけるのというのが盛んだったようで、県内の資料館では、様々な形の手提げ弁当箱がよく見受けられます(図1)。
では、最後にシ力ノアクニチという名前は何を意味するものでしょうか?徳島市内ではこの日、人々がこぞって大滝山(おおたきさん)(図2)に遊びに行き、どの場所も人で埋まるので大滝山にいる鹿にとっての悪日、鹿(しか)の悪日(あくにち)であるとか、3月3日の遊びを徹底させるから四日(しか)の飽日(あくにち)であるとか言われていますが、本当のところはよくわかっていません。
図 2 『阿波名所図会』(1811 年〔文化 8]刊)に描かれた大滝山(現在の徳島市眉山町大滝山)。春は花を秋には紅葉を目的に多くの人が集まる名所として紹介されている。シカノアクニチには周辺に住む多くの人々が大滝山に出かけた。
春がやって来ました。皆さんもお弁当を持ってシ力ノアクニチ風に一日を過ごしてみるのはどうでしょうか?