Q.「蘇民将来」(そみんしょうらい)のお札ってどんなものですか?【レファレンスQandA】
民俗担当 磯本宏紀
A. 海部郡牟岐町(かいふぐんむぎちょう)の沖には1周4km程の小さな島、出羽島(てばじま)があります。この島には博物館からも調査のため学芸員が訪れ、お世話になっています。
その調査のときに、地元の方とこんな話になりました。「出羽島では昔から魔除(まよ)け、疫病除(えきびょうよ)けとして『蘇民将来』の札を門口(かどぐち)に付けているのであたり前だと思ってつけているのですが、そんなに珍しいものなのですか」と。「蘇民将来」の札そのものは広く各地でみられるものなのですが、ここで少し注目してみましょう。
出羽島のほとんどの家では、門口にダイダイといっしょに紙札が付けられています(図1)。これを出羽島ではモンブリ(門振り)といいます。モンブリにはこう書かれています。「蘇民将来子孫門也」。そして、梵字(ぼんじ)でカーン(不動明王)と書かれ、紙札下には星印があり、陰陽道(おんみょうどう)の大家、阿倍晴明(あべのせいめい)の家紋(かもん)を思わせるもので、邪気(じゃき)を祓(はら)う効果があるとされます。
図1出羽島の蘇民将来符
出羽島のこのモンブリの出所は檀那寺(だんなでら)と関係があるようです。出羽島のほとんどの家が牟岐町の満徳寺という真言宗の寺の檀家(だんか)です。年末にはこの札が満徳寺から配られるのだそうです。もらってくるとすぐに正月の注連飾(しめかざ)りと一緒に門口に取り付けるわけです。出羽島では小正月1月15日の朝、サギッチョ(左義長)で注連飾りの方は燃やしてしまうのですが、そのまま残されるのがモンブリとその飾りとしてのダイダイだそうです。こうして次の年の正月までそのまま家の門口には札が残されるわけです。
県内では「蘇民将来」の紙札を配布するのは由岐町(ゆきちょう)、日和佐町(ひわさちよう)、牟岐町など県南の真言宗寺院です。県南地域には広く分布していると考えられるのですが、これを1年間門のところにかけておくのは出羽島の特徴かもしれません。
ところでこの「蘇民将来」、元は人名です。裕福な弟、巨旦(こたん)将来の家で一夜の宿を断られた旅人に扮(ふん)した神に宿を貨し、手厚く歓待(かんたい)したのは、貧しい兄の蘇民将来でした。これに感謝した神がそれ以後、蘇民将来の子孫に至るまで永く疫病の難をまぬがれさせようと約束したという説話に由来します。それが転じて、疫病除けの護符(ごふ)そのものも「蘇民将来」というようになり、蘇民将来の子孫を称する信仰へと結びつくようになったという説明が一般的です。
この蘇民信仰はもともと中央アジアに起源し、中国の道教(どうきょう)や陰陽道の影響を受けたともいわれます。いつごろ日本列島で受容されたかなどはっきりわかっていませんが、民間宗教者を介在(かいざい)して広められたといわれます。
現在では、伊勢(いせ)・志摩(しま)地方では門口に「蘇民将来子孫門也」の紙札を取り付けるという習俗が広く知られており(図2)、薬師如来(やくしにょらい)を祀(まつ)る寺院で配られています。そのほか、茅(ち)の輪くぐりの行事や、「蘇民将来」の木札を奪い合う裸祭(はだかまつり)りなどが広く全国に分布しています。
図2鳥羽市白話の木札
さて、みなさんの地域にはどのような札がありますか。ちょっと身の回りを見まわしてみると新しい発見があるかもしれません。