博物館ニューストップページ博物館ニュース063(2006年6月25日発行)柘榴にヤツガシラ蒔絵印籠 観松斎飯塚桃葉作(063号館蔵品紹介)

柘榴にヤツガシラ蒔絵印籠 観松斎飯塚桃葉作【館蔵品紹介】

美術工芸担当 大橋俊雄

印籠(いんろう)は、薬を入れる小さな容器ですが、江戸時代には武士が腰にさげて楽しむアクセサリーとなり、色々な形や材質、デザインが工夫されました。
 

印籠を作る蒔絵(まきえ)職人は印籠蒔絵師とよばれ、飯塚桃葉(いいづかとうよう)(号観松斎(かんしょうさい))はその代表的な一人です。彼は江戸に住み、1764(明和元)年に阿波徳島侯(こう)に召し出され、1790(寛政2)年に卒(そつ)するまでのあいだ、名工として世に知られました。子孫も桃葉を名のって蒔絵の業(わざ)を継ぎ、幕末には一家が徳島東冨田浦に移り住みました。

桃葉とその一門について、最初に本格的な調査報告がでたのは、1964年ドイツのハンブルグにおいてでした。ベアトリクス・フォン・ラーゲ女史は、桃葉一門の作品が「ドイツと他のヨーロッパ諸国にあるさまざまな公私のコレクションにみられる」のに興味をもち、作者銘(めい)にそえられた花押(かおう)を26種類図示しました。女史による花押の分類整理は、現在も桃葉作品を語るときの基礎データとなっています。

ところで、1989-90年にイギリスのジュリア・ハット女史は、古満安匡(こまやすただ)という18世紀の印籠蒔絵師が、当時日本で売られていた『画図百花鳥(がずひゃっかちょう)』という版本からデザインをとり、数多くの印籠を制作したと述べました。当該本(とうがいぼん)は、さまざまな草木と鳥を組み合わせた図に、俳句などを書きそえた花鳥画の絵手本集です。

「画図百花鳥」(館蔵森崎家資料)より「柘榴八頭」

「画図百花鳥」(館蔵森崎家資料)より「柘榴八頭」

この意見をふまえて、1995年にフィンランドのハインツ・クレス氏は、桃葉も『画図百花鳥』を利用していると指摘し、16点の印籠を紹介しました。「柘榴(ざくろ)にヤツガシラ蒔絵印籠」もそれらの中の1点で、1970年にイギリスロンドンで開かれたサザビーズオークションに出品されたとあります。

柘榴にヤツガシラ蒔絵印籠(表裏面および観松斎銘)

柘榴にヤツガシラ蒔絵印籠(表裏面および観松斎銘)

クレス氏は、ご夫妻ともに印籠の収集研究家として知られ、世界中にある印籠約28,700件のデータを集めて、ご自身の印籠アーカイブを作り上げました。その成果は、近年日本でも注目されはじめています。

印籠は、幕末から明治にかけて大量に海外に流出しました。欧米(おうべい)の人々は、それらを日本の特色があらわれた工芸品と理解し、高く評価しています。桃葉についても、何百点もの印籠がいまも海外にあり、イギリスの印籠事典に「四国島の阿波の大名」に雇(やと)われた作者と記されています。

また、近年は日本においても印籠が見なおされています。印籠美術館が岐阜県高山市(たかやまし)にオープンしたり、印籠をテーマにした展覧会が、東京の静嘉堂(せいかどう)文庫美術館で開かれたりしました。骨董(こっとう)の雑誌などで印籠が特集され、関連する手ごろな図書も出ています。桃葉の名は、こうした機運にのって着実に浸透(しんとう)しています。

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