博物館ニューストップページ博物館ニュース076(2009年9月15日発行)生誕200年 守住貫魚-御絵師・好古家・帝室技芸員-(076号企画展)

生誕200年 守住貫魚-御絵師・好古家・帝室技芸員-【企画展】

守住貫魚(1809-1892)は, 江戸から明治時代にまたがって活躍した日本画家です。彼は、徳島の城下に生まれ、絵の才能をみこまれて江戸の住吉家に入門し、阿波藩に絵師として仕えました。明治維新後、60歳をこえてから大阪に移住しました。

彼は、東京でひらかれた内国絵画共進会に自作を出品し、受賞をかさね、伝統的な画派の象徴となりました。そのかたわら、若いころから親しんでいた好古のわざを深めてゆきました。好古とは、江戸時代に火がついた歴史ブームのひとつです。

今年2009年は、貫魚が生まれて200年にあたります。この企画展では、貫魚の生涯をふりかえり、その人物像と歴史上の役割を、あらためて紹介したいと思います。

会期

10月17日(土)~11月23日(月・祝)

休館日

月曜日(11 月23 日は開館)

会場

博物館1階 企画展示室

観覧料

一般200円/高校・大学生100円/小・中学生50円
※ 20名以上の団体は2 割引、土・日・祝日の小・中・高校生は無料。

展示構成

Ⅰ 守住貫魚の生涯

貫魚の生涯を、ゆかりの品々と作品によって紹介します。

Ⅱ 好古家としての素顔

貫魚がのこした品々をとおして、彼がたしなんだ好古のわざを紹介します。

 

守住貫魚の肖像

守住貫魚の肖像

 

南都正倉院之(なんとしょうそういん)の図 守住貫魚筆  明治10年(1877)に東京の浅草文庫で描かれました。建物の部分は写真にもとづいたと記されています

南都正倉院之(なんとしょうそういん)の図 守住貫魚筆。明治10年(1877)に東京の浅草文庫で描かれました。建物の部分は写真にもとづいたと記されています。

阿波国勝浦郡田之浦村掘出古甲図(あわのくにかつうらぐんたうらむらほりだしこかぶとず) 守住貫魚筆。寛永永7年(安政元・1854)に偶然出土した、古墳時代の甲(かぶと)の写生図です。実物はすぐに埋めもどされ,この図のみが記録にのこりました。

阿波国勝浦郡田之浦村掘出古甲図(あわのくにかつうらぐんたうらむらほりだしこかぶとず) 守住貫魚筆。寛永永7年(安政元・1854)に偶然出土した、古墳時代の甲(かぶと)の写生図です。実物はすぐに埋めもどされ,この図のみが記録にのこりました。

定輝名乗草名 屋代弘賢勘草(さだてるなのりそうみょう やしろひろかたかんそう)。定輝は、 貫魚の前の名前です。和学者の屋代弘賢より、サインの一種である草名があたえられました。

定輝名乗草名 屋代弘賢勘草(さだてるなのりそうみょう やしろひろかたかんそう)。定輝は、 貫魚の前の名前です。和学者の屋代弘賢より、サインの一種である草名があたえられました。

 

関連行事

展示解説

10月18日(日)・11月8日(日)ともに午後2時から3時まで

学芸員が展示室で解説をします。

子どもむけスペシャル

かんぎょ先生のクイズにチャレンジ!

日時

11月15日(日)・22日(日) 9:30~16:30 会場にて行います。

カテゴリー

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