生誕200年 守住貫魚-御絵師・好古家・帝室技芸員-【企画展】
守住貫魚(1809-1892)は, 江戸から明治時代にまたがって活躍した日本画家です。彼は、徳島の城下に生まれ、絵の才能をみこまれて江戸の住吉家に入門し、阿波藩に絵師として仕えました。明治維新後、60歳をこえてから大阪に移住しました。
彼は、東京でひらかれた内国絵画共進会に自作を出品し、受賞をかさね、伝統的な画派の象徴となりました。そのかたわら、若いころから親しんでいた好古のわざを深めてゆきました。好古とは、江戸時代に火がついた歴史ブームのひとつです。
今年2009年は、貫魚が生まれて200年にあたります。この企画展では、貫魚の生涯をふりかえり、その人物像と歴史上の役割を、あらためて紹介したいと思います。
会期
10月17日(土)~11月23日(月・祝)
休館日
月曜日(11 月23 日は開館)
会場
博物館1階 企画展示室
観覧料
一般200円/高校・大学生100円/小・中学生50円
※ 20名以上の団体は2 割引、土・日・祝日の小・中・高校生は無料。
展示構成
Ⅰ 守住貫魚の生涯
貫魚の生涯を、ゆかりの品々と作品によって紹介します。
Ⅱ 好古家としての素顔
貫魚がのこした品々をとおして、彼がたしなんだ好古のわざを紹介します。
守住貫魚の肖像
南都正倉院之(なんとしょうそういん)の図 守住貫魚筆。明治10年(1877)に東京の浅草文庫で描かれました。建物の部分は写真にもとづいたと記されています。
阿波国勝浦郡田之浦村掘出古甲図(あわのくにかつうらぐんたうらむらほりだしこかぶとず) 守住貫魚筆。寛永永7年(安政元・1854)に偶然出土した、古墳時代の甲(かぶと)の写生図です。実物はすぐに埋めもどされ,この図のみが記録にのこりました。
定輝名乗草名 屋代弘賢勘草(さだてるなのりそうみょう やしろひろかたかんそう)。定輝は、 貫魚の前の名前です。和学者の屋代弘賢より、サインの一種である草名があたえられました。
関連行事
展示解説
10月18日(日)・11月8日(日)ともに午後2時から3時まで
学芸員が展示室で解説をします。
子どもむけスペシャル
かんぎょ先生のクイズにチャレンジ!
日時
11月15日(日)・22日(日) 9:30~16:30 会場にて行います。