博物館ニューストップページ博物館ニュース079(2010年6月25日発行)砕かれた青銅器!-誰が、どうやって壊したのか?-(079号CultureClub)

砕かれた青銅器!-誰が、どうやって壊したのか?-【CultureClub】

保存科学担当 魚島純一

弥生時代を代表する遺物の一つである青銅器(せいどうき) 。中でも銅鐸(どうたく)は徳島県からも数多く出土していることもあり、徳島県民にはなじみが深いものです。出土する銅鐸の中には、意図的に粉々に砕かれた後に埋められた状態で見つかるものがあります。

青銅器は、銅と錫(すず)と鉛(なまり)の合金でつくられた金属器の総称です。一般的な銅鐸の材質分析の結果からは、銅がおよそ80~90%、錫がおよそ5~15%、鉛がおよそ5%というような値が得られます。しかし、このような成分の銅鐸は、金槌(かなづち)でたたいた程度ではせいぜいへこんだり、曲がったりする程度の変形に留まり、とても粉々に砕くことはできません。博物館に展示されている銅鐸の中にも、発掘された際に鍬(くわ)や重機などがあたったためにへこんだり曲がったりしているものがあるので、みなさんもご覧になったことがあるでしょう。

では、粉々に砕かれた銅鐸はいったいどのようにして壊されたのでしょうか?銅鐸のことを調べている中で、このことは私自身にも大きな疑問の一つでした。

15年ほど前に、銅鐸の復元鋳造(ちゅうぞう)に取り組んでおられる鋳造家の小泉武寛さんと知り合いになることができました。小泉さんは、20年以上、鋳造家という立場から、弥生時代の銅鐸職人の「わざ」に迫ろうと取り組んでおられます。小泉さんと話をする中で、粉々に砕かれた「破砕(はさい)銅鐸」の話になったのですが、鋳造家の間では失敗作を鋳いつぶして、再び材料として使う際にごく普通に用いられている方法があることを教えていただきました。小泉さんの工房にお邪魔して、実際に見せていただくと、その方法で壊した復元銅鐸の破片の状況が、粉々に砕かれて出土する銅鐸の破片にまさにそっくりなことがわかりました。

その方法というのは、鋳造の際に材料となる金属を溶かすための炉(ろ)のそばに銅鐸を置き、真っ赤になるまで熱したあと、金槌で軽くたたくという、特別な道具などを必要としない、とても簡単な方法なのです。この方法は、現代でも、鋳造に携わる人にはあたりまえのことだそうですが、鋳造を知らない人にとってはまったく想像もつかない方法です。
弥生時代に銅鐸を粉々に砕いた人たちは、きっと青銅器をつくった人たち、あるいはつくるのをそばで見ていた人たちで、どうすれば銅鐸を粉々に砕くことができるかを知っていた人に違いありません。

青銅器を専門に研究している考古学者でもこのことを知っている人はわずかです。今回、小泉さんのご協力をいただいて、実物とほぼ同じ材質で復元鋳造された銅鐸などを実際に破壊し、実験を行うことができました。復元鋳造にかかった手間や苦労を考えると、破壊するのはたいへん勇気がいることでしたが、おかげで、これまでほとんど知られていなかったことを、きちんと記録し、多くの人に見ていただけるようになりました。

ここで紹介することができるのは、写真のみですが、徳島県立博物館のホームページには、今回の銅鐸をはじめとした復元青銅器破砕実験の動画を公開する準備をしています。

ぜひ一度ご覧いただき、弥生時代の人たちが青銅器を破砕した時の気持ちに思いをはせてみてください。

図1 復元銅鐸を加熱せずに金槌でたたく。へこむだけで砕けることはない。

図1 復元銅鐸を加熱せずに金槌でたたく。へこむだけで砕けることはない。

図2 復元銅鐸を 750℃で約5分間加熱した後に金槌でたたく。いとも簡単に粉々に砕けた。

図2 復元銅鐸を 750℃で約5分間加熱した後に金槌でたたく。いとも簡単に粉々に砕けた。

図3 破砕後の復元銅鐸

図3 破砕後の復元銅鐸

 

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