博物館ニューストップページ博物館ニュース079(2010年6月25日発行)絵師・佐々木家についての資料(079号情報ボックス)

絵師・佐々木家についての資料【情報ボックス】

美術工芸担当 大橋俊雄

江戸時代に、徳島にいた絵師(えし)の一族に佐々木家があります。17 世紀の後半から19 世紀の半ばまで、作品を残したり記録に名をとどめたりして、実に息のながい活動をしています。古くは町絵師(まちえし)や絵仏師(えぶっし)のような仕事もしましたが、やがて藩の御用を請(う)けて分限帳(ぶんげんちょう)に名前が現れ、江戸の狩野(かのう)家の門人になったことが知られています。徳島市の丈六寺にある曳馬図絵馬(ひきうまずえま)は、佐々木信之丞が元禄8年(1695)に描いています。徳島市立徳島城博物館にある養性軒十六詩画巻(ようしょうけんじゅうろくしがかん)は、佐々木信照(のぶてる)の筆で享保8年(1723)に完成しています。

佐々木家はくわしい系図が残っておらず、名前とおおよその活躍期が、断片的に分かるだけです。徳島城博物館の須藤茂樹氏は、作品と資料を詳しく調べ、以下の人たちがいたことを『史窓』27号(徳島地方史研究会 1997)で報告されています。年号は、確認されるうちの最下限です。

佐々木家の名前とおおよその活躍期
○信之丞:元禄8年(1695) ○定之丞:元禄8年(1695)
○信照:元文5年(1740) ○作之丞:享保15年(1730)
○玄仲寿信:享保18年(1733) ○栄流 :享保18年(1733)
○養郭惟照:寛政2年(1790) ○典照:寛政2年(1790)
○唯照:文化11年(1814) ○晴造:文政11年(1828)
○忠兵衛信照:天保8年(1837) ○寿照:弘化2年(1845)


  
彼らのうち、生まれた年がわかるのは玄仲寿信で、正徳4年(1714)とのことです。ほかは誰についても生没年が不明です。

ところで、明治の終わりから昭和にかけて、地元の絵画史を調べた人に 須木一胤(すきかずたね)(1873-1936)がいます。一胤は 住吉派(すみよしは)の日本画家で、徳島師範学校の先生でもありました。彼の遺品は、子孫の方から当館に寄贈されています。そのなかに佐々木家の墓碑を調査した記録があり、墓の正面図と戒名(かいみょう)・命日が書き留められています(図1)。あるいは過去帳なども見たのかも知れません。

現在では、佐々木家の墓がどこにあったのか定かでなく、記録が採られた時期や経緯もわかりません。それぞれの戒名が、先にあげた誰に当たるのかも曖昧です。しかし没年を記した唯一の資料ですので、以下にその内容をあげておきます。
佐々木家について、どなたか情報をお持ちでしたらぜひお知らせ下さい。
 

図1 佐々木家墓碑記録(須木一胤採録)

図1 佐々木家墓碑記録(須木一胤採録)

 

墓碑
墓碑表 〈梵字〉先祖代々霊
墓碑裏 佐々木晴造/   唯照
墓台石 寄附 下山道左衛門

 

命日・ 戒名  (墓に刻まれていたのか、別に記録されていたのか不明です)

寛政五年四月五日 養心自郭居士
正保?四年九月廿六日  法名義遠居士
明暦元年三月七日 貞悦春清居士
寛文十年二月七日 法悦春哲居士
元禄十四年十二月六日 雪岸貞松居士
享保十年五月廿六日 澤達由信居士
延享四年十月五日  栄海義空信照居士
寛政三年十一月十九日  峨洋院和山栄流居士
天保十二辛丑十月十九日 松雲晴山居士
元治元甲子年十一月廿五日 真性義海居士
慶応二年寅七月廿六日 性圓義通居士
明治二十三年六月廿二日 栄應妙寿大姉
正徳元七月二日 蘭月涼詠信? 士
元文六年四月十?日 柳雪了源信士
宝暦八十月廿八日 法義円信士

 ※表記の順序、「?」は原文のままです。
 

カテゴリー

ページトップに戻る