Q 徳島城の御殿について部屋とふすま絵の資料があると聞きましたが…【レファレンスQandA】
美術工芸担当 大橋俊雄
A 阿波藩主蜂須賀家(あわはんしゅはちすかけ)の居城(きょじょう)である徳島城には、藩主の一族が暮らす西丸御殿(にしのまるごてん)がありました。この建物は火災にあい、12 代藩主斉昌(なりまさ)の隠居にあわせて、天保14年(1843)に建て直されました。
西丸御殿は現存しないため、部屋の様子や障壁画(しょうへきが)について、詳細がわかりませんでした。しかし近年、幕末期(ばくまつき)に藩の御用絵師(ごようえし)であった守住貫魚(もりずみつらな)(1809-1892)の遺品から、この建物の襖ふすまや板戸(いたど)の下絵(したえ)が見つかりました。遺品は当館が所蔵しています。縮小された画面ですが、城の御殿について、障壁画をふくめて部屋の様子がわかる貴重な資料です。
例として、宇治之間(うじのま)とよばれる部屋をあげておきます。実際の下絵は①-②-③-④の順に繋つながりますが、部屋の四方にあわせて分けて表示します。ほかに梅之間・表居間・西部屋の下絵も残されていますが、くわしくは機会をあらためて紹介します。
徳島城西丸御殿宇治之間 展開図