博物館ニューストップページ博物館ニュース102(2016年3月25日発行)内モンゴル・遼寧省旅行記(102号CultureClub)

内モンゴル・遼寧省旅行記【CultureClub】

考古担当 高島芳弘

2015年の8月上旬、鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)の内モンゴル調査とその関連資料を調べるため、東北学院大学の佐川正敏さんと一緒に、中国の内蒙古(うちもうこ)自治区、遼寧(りょうねい)省にある、慶陵(けいりょう)、慶州城(けいしゅうじょう)などの遺跡と遼代(りょうだい)の遺物を所蔵する博物館を訪れました(図1)。現地での案内は中国社会科学院考古研究所の董新林(とうしんりん)さんと、巴林左旗文物管理所(ぱーりんさきぶんぶつかんりしょ)所長の左利軍(さりぐん)さんの2人にお願いしました。日程は次のとおりです。

  •  8月4日 旅客機で関西空港から北京空港へ。景山(けいざん)公園、北海公園の見学。
  •  8月5日 国家博物館、天寧寺(てんねいじ)の見学。旅客機で北京空港から赤峰玉龍(せきほうぎょくりゅう)空港へ。
  •  8月6日 赤峰市博物館、巴林右旗(ぱーりんゆうき)博物館の見学。
  •  8月7日 慶陵、慶州城白塔(はくとう)、祖州城(そしゅうじょう)、祖陵(そりょう)の見学。
  •  8月8日 遼上京(りょうじょうきょう)博物館、 遼上京城跡(りょうじょうきょうじょうあと)の発掘調査見学、赤峰から瀋陽(しんよう)へ。
  •  8月9日 遼寧省博物館、瀋陽故宮(しんようこきゅう)、張作霖(ちょうさくりん)、張学良(ちょうがくりょう)記念館の見学。
  •  8月10日 高速鉄道で瀋陽から北京(ぺきん)へ。故宮見学。
  •  8月11日 旅客機で北京空港から関西空港へ。

図 1 内蒙古自治区、遼寧省地図.A:巴林右旗,B:遼上京城跡,C:巴林左旗,D:祖陵,E:慶州城,F:慶陵 .

図 1 内蒙古自治区、遼寧省地図.A:巴林右旗,B:遼上京城跡,C:巴林左旗,D:祖陵,E:慶州城,F:慶陵 .

 以下に内蒙古自治区、遼寧省の各地で視察した概要を報告します。

赤峰市博物館、巴林右旗博物館

赤峰市博物館では劉冰(りゅうびん)館長の案内で新発見速報展、常設展示(通史展示、青銅器の展示)を見学しました。今回の調査旅行のガイダンス的なものとなりました。
新石器時代である紅山(こうざん)文化(紀元前4700年頃-紀元前2900年頃)に、日本では旧石器時代と思われる石刃(せきじん)、あるいは細石刃(さいせきじん)が存在することを私は急には信じられませんでした。また、遼の緑釉瓦(りょくゆうがわら)の展示では龍蔵採集の瓦に比べて非常に貧弱なことにも驚かされました。

董さんの自家用車で、巴林右旗(ぱーりんゆうき) の大板まで2時間をかけて移動しましたが、その途中豪雨が2回ありました。巴林右旗博物館では、新石器時代のイノシシ、龍などすばらしい玉(ぎょく)製品の数々に目を奪われました。遼関係の展示では白塔の調査で確認された石碑と塔の頂上の納入品(金製、木製の舎利塔(しゃりとう)7基以上、仏像、経卷(きょうかん))が目を引きました。慶陵の哀冊(あいさつ)(皇帝、皇后の墓碑(ぼひ))の複製8基と、1997(平成8)年、巴林右旗博物館の調査で発見された興宗(こうそう)の弟2人の陵墓(りょうぼ)の墓碑(ぼひ)も展示されていました。興宗の弟2人の陵墓は、東陵(とうりょう)の側にあり、その墓碑の記述から東陵=興宗陵と確認されたのです。

慶陵、慶州城白塔、祖陵、祖州城

早朝6:30に出発し慶陵へと向かいました。峠を下り、盆地の対岸から慶陵を写真撮影しました(図2)。バイクが手配できず、東陵という案内のある細い道を左さん、佐川さん、高島の3 人で歩いて進みました。董さんは留守番を選びました。途中で瓦の散乱した土盛り(門)を発見し、さらにしばらく進んで前殿跡にたどり着きました。緑釉の軒丸瓦(のきまるかわら)などが散乱しており、周辺には所々に礎石(そせき)と思われる大きな石が転がっていました。大捜索の末に墓室を発見しましたが、天井部は掘り抜かれており、中の壁の塼積(せんづ)みが見えるようになっていました。しかしながら、墓室入口はついに確認できませんでした。

図 2 慶陵遠望

図 2 慶陵遠望

午後は慶州城白塔の調査です。白塔は数年前に建物の表面を塗り直したそうですが、すでにかなり落ち着いてきています。塔の側で全景と細部を撮影し、城壁中心の高まりからも白塔を撮影しました。

夕方、祖陵に到着しました。1カ所だけ尾根の開いている谷の出口近くに黒龍門(こくりゅうもん)が建設されており、この正面には大きな山がどっしりと構えています。陵の回りを囲む尾根上の30カ所以上のワレは、礫(れき)を積み上げて塞ふさがれています。魂たましいがまっすぐ天に昇るようにという考えをよく表しているのだそうです。
祖陵から祖州城への道すがら、高台に位置する碑台の石亀(いしがめ)を見学しました。ここは、董さんによる発掘が終わり、現在は復元工事中です。高台を下りて祖州城へ進みました。祖陵の墓室に収める前に遺骸(いがい)を安置したと思われる施設である石房子(いしぼうし)は城壁のコーナー近くにあります。ここで、龍蔵と同じように石房子の側に立って記念撮影をしました(図3)

図 3 石房子から碑台の石亀、祖陵入り口を望む

図 3 石房子から碑台の石亀、祖陵入り口を望む

遼上京城跡

8日の午前中は遼上京博物館を見学しました。1階は遼上京城跡の模型、2階は新石器時代、3階は遼の時代、4階は陵墓の壁画となっています。遼上京城にあった観音の実物が置かれている隣の個人博物館に寄り、写真撮影をした後、遼上京城の発掘現場へ向かいました。内側の城壁の東門を調査中で、約9×4mの南北棟建物を確認していました。遼上京城の中心建物の基壇(きだん)に登り、南塔と観音を眺めました。巴林左旗の旗長(きちょう)主催の歓迎昼食会に出席したら、昨日祖州城で調達した羊も食卓に上っていました。昼食後、祖陵の調査で出土した軒丸瓦の瓦当(がとう)を調査しましたが、緑釉の瓦はまったく含まれていませんでした。

午後4:00頃、董さん、左さん、佐川さん、高島の4人で瀋陽に向けて董さんの自家用車で出発し、午後9:00頃、通遼(つうりょう)の少し手前で夕食を取りました。瀋陽に到着したのは9日の午前2:00頃でした。

遼寧省博物館

遼寧省博物館は、新しい官庁街の中に図書館や文書館とともに移転しており、現在の建物は3代目にあたります。劉寧(りゅうねい)副館長に案内してもらい、エントランスで全体の紹介をしていただいた後、中国古代碑誌(ひし)展を見学しました。残念ながら、明(みん)・清玉器(しんぎょっき)展は見学しませんでした。通史展示は来年度に完成するそうです。中国古代碑誌展は墓誌(ぼし)の拓本(たくほん)付きの実物を時代ごとに並べています。やはり、慶陵のものがボリュームもあり華(はな)やかです。慶陵の哀冊は、盗掘された後、最終的に湯佐栄(とうさえい)邸に運ばれたのですが、その建物が初代の遼寧省博物館であると劉寧さんから教えられました。ここで、5人揃って記念撮影をしました(図4)。

図 4 慶陵哀冊の前で記念撮影(左から 2 人目が筆者)

図 4 慶陵哀冊の前で記念撮影(左から 2 人目が筆者)

龍蔵の調査地である慶陵、慶州城を実地で見学することは考古学に携(たずさ)わってきた筆者の長年の夢であり、多いに感激しました。また、慶陵の哀冊の実物を見ることができたのも、今回の調査旅行の大きな収穫でした。慶陵については、今回は東陵しか見学できなかったので、時間が許すのであれば、西陵、中陵、東陵の3陵を合わせてじっくりと見てみたいものです。

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