Q.常設展の入口にある「徳島藩江戸上屋敷」とは何ですか?【レファレンスQandA】
歴史担当 松永友和
A.徳島県立博物館の常設展の入口には、「徳島藩江戸上屋敷(とくしまはんえどかみやしき)」の模型を展示しています(図1・2)。これは、徳島県立徳島工業高等学校(現、徳島県立徳島科学技術高等学校)の方々によって、文政(ぶんせい)11年(1828)「江戸上屋敷総絵図(そうえず)」(国文学研究資料館所蔵)という資料に基づいて復元されたものです。
図 1 常設展の入口付近に展示している「徳島藩江戸上屋敷」の模型(制作 徳島県立徳島工業高等学校)
図 2 「徳島藩江戸上屋敷」(模型)表御門10 万石以上の表門の形式(徳島藩は 25 万 7000 石)。
藩の規模(石高)によって、作ることができる門構えの形式が定められていた。
さて、ご質問の「徳島藩江戸上屋敷」についてですが、そもそも江戸時代の大名(だいみょう)は、国元(くにもと)(徳島藩の場合は徳島)の他に、江戸や大坂、京都などに武家屋敷(ぶけやしき)を所持していました。あえて現在に例えるならば、東京にある出張所や支店などにあたるのかも知れません。
江戸の武家屋敷は、将軍から拝領地(はいりょうち)として与えられ、用途別に上屋敷、中(なか)屋敷、下(しも)屋敷などと呼ばれました。一般的に、江戸上屋敷は、参勤交代(さんきんこうたい)により藩主が江戸に滞在する際の居住地として使用されました。藩主の他に正室(せいしつ)(本妻(ほんさい))らがおり、江戸留守居(るすい)やその他多くの藩士が政務を掌(つかさど)るなど、江戸上屋敷は、言わば江戸における藩政の拠点でした。
徳島藩江戸上屋敷は、東京駅から南へ徒歩約5分程度の場所に位置し(現、東京都千代田区丸の内3丁目、東京国際フォーラム(図3)の南側及び有楽町(ゆうらくちょう)駅付近)、敷地面積は10,719坪だったようです。東京の一等地に、徳島藩の広大な武家屋敷があったのです。
図 3 東京国際フォーラム(2015 年 12 月撮影)
東京駅から徒歩約5分の場所に、徳島藩の江戸上屋敷(敷地面積 10,719 坪)があった。