博物館ニューストップページ博物館ニュース112(2018年9月15日発行)阿南市羽ノ浦町の横穴式石室(112号歴史散歩)

阿南市羽ノ浦町の横穴式石室【歴史散歩】

考古担当 岡本治代

那賀川(なかがわ)の下流に位置する阿南市羽ノ浦町には、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)をもつ古墳(こふん)時代終わりごろ(6世紀~7世紀)の古墳が複数築かれています。今回は、その中から能路寺山(のろじやま)1号墳・観音山(かんのんやま)古墳を紹介します(図1)。

図1 能路寺山1号墳・観音山古墳の位置( 国土地理院 2 万 5000 分の 1 地形図「立江」・「阿波富岡」をもとに作成 )

図1 能路寺山1号墳・観音山古墳の位置( 国土地理院 2 万 5000 分の 1 地形図「立江」・「阿波富岡」をもとに作成 )

能路寺山1号墳は、羽ノ浦町の北端に位置する小丘陵(きゅうりょう)「能路寺山」の中腹、標高約20mの場所に築かれています。東南の山裾(やますそ)に立地する「能路寺」の西側の山道を登り、墓地造成地の東にある小道を進むと、新四国八十八箇所霊場(れいじょう)の石仏が点々とたてられています。この石仏をたどっていくと、横穴式石室の開口部が見えてきます(図2)。現在は盛土の一部が流出していますが、直径約10m、高さ約3mの円墳と考えられています。石室は全長約5.1mで、砂岩を積み上げて築かれており、内部に観音像が安置されています。玄室(げんしつ)(遺体(いたい)を納める部屋)の片側に羨道(えんどう)(石室入り口から玄室へとつながる通路)が偏(かたよ)って接続する、「片袖式(かたそでしき)」とよばれる構造を持つのが特徴です。

図2 能路寺山1号墳

図2 能路寺山1号墳

一方、観音山古墳は、能路寺山から東南約600mに位置する独立丘陵「観音山」に築かれています。標高約20mの場所にある「拳正寺(けんしょうじ) 」の境内(けいだい)に位置しており、直径約12m、高さ約3.5mの円墳と考えられています(図3)。石室の奥には如意輪(にょいりん)観音像が安置されており、石室の開口部を覆(おお)うように観音堂が建てられています。石室は全長約7.3mで、県南では海陽町の大里2号墳に次ぐ規模の石室です。能路寺山1号墳と同じく砂岩で築かれていますが、観音山古墳の方が整然と石が積まれており、平面形も玄室の中軸線上に羨道が接続する「両袖式(りょうそでしき)」の構造をもつなど、能路寺山古墳との違いを観察することができます。

図3 観音山古墳

図3 観音山古墳

このように、能路寺山1号墳、観音山古墳は近接して立地しており、低丘陵上にあるので登るのも容易です。半日もあれば両古墳とも見学できますので、気候のよい秋に、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

古墳は、現在も信仰の対象となっています。見学する際は、節度をもった行動を心がけましょう。

参考文献

・阿波学会考古班1985「羽ノ浦町の考古学調査報告」『総合学術調査報告 羽ノ浦町』郷土研究発表会紀要第31号、徳島県立図書館。
・羽ノ浦町誌編さん委員会編1998『羽ノ浦町誌』歴史編第一巻、羽ノ浦町。
・羽ノ浦町誌編さん委員会編1996『羽ノ浦町誌』自然環境編、羽ノ浦町。

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