博物館ニューストップページ博物館ニュース113(2018年12月1日発行)Q.瀬戸内の風景をかいた絵巻があるそうですが?(113号QandA)

瀬戸内の風景をかいた絵巻があるそうですが?【レファレンスQandA】

美術工芸担当 大橋俊雄

当館には、守住貫魚(もりずみつらな)(1809-92)が描えがいた「全国名勝絵巻(めいしょうえまき)」全10巻(かん)があります。この絵巻の中に、瀬戸内(せとうち)の沿海部(えんかいぶ)や、島々の風景図が収められています。

貫魚は、徳島藩に抱えられた絵師で、流派(りゅうは)は住吉(すみよし)派になります。藩主の蜂須賀斉昌(はちすかなりまさ)の身近につかえ、作品を多く残しています。彼は北陸や中部地方を旅し、また斉昌の参詣(さんけい)や湯治(とうじ)などのお供ともをして、道中の風景を写生(しゃせい)しました。それらを巻物にまとめ、藩に提出したのが「全国名勝絵巻」です。天保(てんぽう)年間(1830-44)に完成したといわれています。

この絵巻は、紙の地(ぢ)に墨(すみ)と淡(あわ)い色で描かれています。画面の天地が19.3センチで、懐中(かいちゅう)できる写生帖(じょう)とさほど変わらないサイズです。各巻には、いつの頃からか、下記のように地名などを冠(かん)した巻名(かんめい)が付けられています。10巻のうち半分以上の6巻が、瀬戸内とその近辺の地名などで占(し)められています。〇印のあるのが該当(がいとう)する巻(かん)です。

 橋立(はしだて)の巻(まき)

城(き)の崎(さき)の巻

〇厳島(いつくしま)の巻

赤阪(あかさか)の巻

〇隠渡(おんど)(音戸)の巻

〇花(はな)(鼻)栗(ぐり)の巻

諏訪(すわ)の巻

〇碁浦(ごのうら)の巻

〇靫(ゆき)(鞆(とも)か)湊(みなと)の巻

〇錦帯橋(きんたいきょう)の巻

ただし6巻の内容を確かめると、風景図の順序が地理的にばらばらで、巻名とも対応しません。この絵巻は、どうやらある時期に修理されており、その時に画面が混ぜこぜにされ、まちがえて貼(は)り継(つ)がれたようです。

写真1 「全国名勝絵巻」の靫湊の巻から、「鞆湊の四方の図」の部分

写真1 「全国名勝絵巻」の靫湊の巻から、「鞆湊の四方の図」の部分

 

それでは瀬戸内の風景絵巻として意味がないかというと、そうでもないようです。

以前、福山市鞆(とも)の浦(うら)歴史民俗資料館の方々が、この絵巻に収められた鞆の浦の風景図を調べられたことがあります。さがしてみると6図もあり、4巻に分散(ぶんさん)していました。内訳(うちわけ)は、「鞆の医王寺境内(いおうじけいだい)から見た図」、「鞆の祇園社(ぎおんしゃ)内からの眺望(ちょうぼう)」、「鞆湊の四方(しほう)の図」(写真1)、「伊予(いよ)の海上から鞆を遠望する図」、「鞆の湊から沖(おき)を眺望する図」、「鞆の湊を沖から見る図」です。鞆の浦を遠望したり、海側から町並(まちな)みを見たり、陸にあがって高いところから見下ろしたり、そこから島々をながめたりと、実にさまざまな視点(してん)で描かれています。中には、とりたてて目ぼしいものがなく、ほとんど絵画化(かいがか)されていない場所の風景図もあり、感心されていました。

瀬戸内にかかわる6巻は、現在の兵庫、岡山、広島、山口、香川、愛媛の6県におよびます。描かれた位置を丹念(たんねん)に調べれば、当初の画面の順序が復元(ふくげん)できるかも知れません。そうなれば、写生した旅の年代や行程も分かり、さらに多くの知見(ちけん)が得られるのではないかと期待されます。

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