博物館ニューストップページ博物館ニュース117(2019年12月3日発行)太宰府天満宮のおふだ(117号情報ボックス)

太宰府天満宮のおふだ【情報BOX】

民俗担当 庄武憲子

新元号(げんごう)「令和(れいわ)」も2年になろうとしています。「令和」の典拠(てんきょ)は『万葉集(まんようしゅう)』に収められている「梅花の歌三十二首 序文」にあり、この「梅花の歌」が詠(よ)まれた地として、福岡(ふくおか)県の太宰府(だざいふ)が話題になっていることを皆さま覚えていらっしゃいますでしょうか?

当館の収蔵資料の中に、令和ゆかりの地とされる太宰府にある、天満宮(てんまんぐう)の古いおふだを発見したので紹介したいと思います。

太宰府天満宮から配られたと考えられるおふだは十数枚あり、現在のところ3種類を確認しています(図1)。いずれも阿波(あわ)市土成(どなり)町の民家の納屋(なや)に、他たくさんのおふだと一緒に残されていたものです。図1右は、「安楽寺天満宮 御祈祷 別當 浦之坊」と刷(す)られた紙に「奉修天満神本地供 家門繁昌 息災延命 祈攸」の内符(ないふ)がつつまれていました。その上に、「天満宮 御守 別當 浦之坊」が重ねられ、水引(みずひき)がかけられていました(図2)。図1中央は「安楽寺 天満宮御梅守」で、中に天満神守護と朱書きされた紙につつまれた梅の種(と思われるもの)が入っていました。図1左は「太宰府 天満宮御守 小野伊予守」と記されています。

図1 太宰府天満宮から配られたと考えられる3種類のおふだ。

図1 太宰府天満宮から配られたと考えられる3種類のおふだ。

図2 図1右のおふだを分解したもの。左が中央のおふだに包まれていた内符、右がその上に重ねられていたもの。

図2 図1右のおふだを分解したもの。左が中央のおふだに包まれていた内符、右がその上に重ねられていたもの。

図3 「太宰府観光がいどまっぷ」(部分) 2018年12月発行現在天満宮参道にある小野筑紫堂は、図1左のおふだに見える小野伊予の子孫の家だそうです。

図3 「太宰府観光がいどまっぷ」(部分) 2018年12月発行現在天満宮参道にある小野筑紫堂は、図1左のおふだに見える小野伊予の子孫の家だそうです。

 

調べてみると、太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらのみちざね)の祠廟(しびょう)、そして「安楽寺」として創建(そうけん)され、明治(めいじ)政府による神仏分離(しんぶつぶんり)で安楽寺が廃寺(はいじ)になるまで、神仏習合(しゅうごう)の「安楽寺天満宮」あるいは「天満宮安楽寺」と称されていたことを知りました。また、組織に役職があり、図1、2のおふだに見える「浦之坊」は五つあった別当(べっとう)家の1つ、「小野伊予」は三つあった文人の家の1つで、太宰府天満宮周辺に居を構えていたことが絵図などで確認できました。

近世頃に、この役職にあたる家が宿坊(しゅくぼう)として天満宮に参拝する人の宿になったり、全国におふだや梅御守を配るようになったとされています。土成町に残されていた安楽寺天満宮のおふだは、おそらく太宰府天満宮の浦之坊や小野伊予家から人が来て、配ったものと考えます。

今後より詳しいことを調べ、企画展などで紹介したいと考えています。

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