Q.弥生時代や古墳時代には、どのような方法でお米を炊いていたのですか?【レファレンスQandA】
考古担当 磯本宏紀
A.弥生(やよい)時代になると日本でも米作りが始まることは、よく知られています。しかし、この時代の炊飯(すいはん)方法については、あまり説明されていないかもしれません。
近年、北陸学院大学の小林正史教授らが、東南アジアなどの伝統的な調理方法の調査と、土器についたススコゲなどの調理痕跡(こんせき)の分析や調理実験を組み合わせて、食文化史の研究を行っています(小林編2017など)。今回は、その研究成果をもとに質問にお答えしましょう。
現在、私たちが土鍋(どなべ)で米を炊(た)くときには、あらかじめ水に浸(ひた)した米と、米の量よりやや多い水を鍋に入れて蓋ふたをして炊く「炊(た)き干(ぼ)し法」とよばれる方法を用います。これに対して、伝統的な東南アジアの炊飯方法は、「湯取り法」という方法が多いことが明らかにされています。これは、鍋に米と多めの水を入れて沸騰(ふっとう)させた後に、鍋を傾けて余分な煮汁(にじる)を捨て(湯取り)、その後、側面を加熱して蒸(む)らす方法です。
弥生時代から古墳(こふん)時代前期には、日本列島ではまだ竈(かまど)は導入されておらず、炉(ろ)の上に土器を置いて調理をしていました。また、炊飯用の土器には、鍋を斜ななめにして煮汁を捨てた際の吹きこぼれの痕跡(図1)が見られることから、東南アジアの例と同じように「湯取り法」で米を炊いていたと考えられます。さらに、土器の側面には、連続するコゲの痕あとが残っており、これが湯取り後に炭火の上に土器を転がして米を蒸らした痕跡と考えられています(図2)。徳島の古墳時代初めの土器でも、このような痕跡が確認されており、「湯取り法」で米を炊いていたことがわかっています(三阪ほか2019)。ススコゲに注目して博物館の土器をながめてみると、新たな発見があるかもしれませんね。
図1 土器に残る吹きこぼれの痕跡 石井町石井城ノ内遺跡(三阪ほか2019掲載図を一部改変、徳島県立埋蔵文化財総合センター蔵)
図2 「湯取り法」による炊飯方法(古墳時代前・中期の西日本)(三阪ほか2019掲載図を一部改変)
引用文献
小林正史編2017『モノと技術の古代史 陶芸編』吉川弘文館
三阪一徳、近藤玲、小林正史2019「古墳時代開始期の徳島県域における炊飯方法の変化」(考古学研究会第65回総会 ポスターセッション)