海からのメッセージ【CultureClub】

植物担当 鎌田麿人

徳島県の東側は、海に面しています。その海は世界につながる道でもあります。徳島のみならず、日本の文化や生物には、その海の道-黒潮(くろしお)-をたどってやってきたものがたくさんあると考えられています。

私たちの博物館では、徳島の生物相や、民俗文化の成り立ちを考えるための手がかりを得るために、黒潮沿いの島々の生物や民俗の謂査を2年前から始めています。そのうち、ここでは、私たちが収集している「漂着物(ひょうちゃくぶつ)」について、いくつか述べてみたいと思います。

ゴミ?

図1徳島の海岸に漂着した外国製品のゴミ〔海部郡海南町と日和佐町[(994 年8月および9月))

図1徳島の海岸に漂着した外国製品のゴミ〔海部郡海南町と日和佐町[(994 年8月および9月))

海岸を歩くと、浜辺にいろんなゴミがたまっているのを目にして、イヤな思いをしたことがありませんか。でも、そこには様々なメッセージが含まれています。手始めに、徳島の海岸にたまっているゴミを観察してみましよう。
キャンプや海水浴に持ってきたと思われる弁当の箱、ジュースの空き缶や、ペットボトル、花火の残がい…こんなのは論外。それにしてもペットボトルが多い。ちょっと待て、このボトルはちょっと違った漢字だ。中国(ちゅうごく)?台湾(たいわん)?ハングル…韓国??? これはイスラ工ル???中国のお茶に香港(ほんこん)の豆乳だ。これは台湾の生理用ナプキン。おもちゃまである(図1)。
そうです。徳島の海岸にも、意外と外国製品のゴミが、多くたまっているのです。これほどうしてなのでしょうか? ミネラルウォーターなどの大型のペットボトルの多くは、沿岸を通る外国の船から捨てられたものかもしれません。けれども、小型のジュースや紙製容器のお茶、また、生理用品、子どものおもちゃなどは、台湾、香港や中国などから、黒潮にのってはるばる流れてきた可能性が大きいと思われます。
徳島まではるかな「海上の道」をたどり、流れ着いたゴミ。みなさんは、どのように感じるでしょうか。南からゴミという「文化のかけら」が流れてきている事実から、はるかな昔、人々が様々な「文化の体系」を持ってたどり着いたことがあったのかもしれない、とは思えないでしょうか?
「ゴミを海に捨てている悪い国もあるんだ」と考えているあなた、忘れてはいけません。一番多いゴミは、日本のものです。日本のゴミもまた、「海上の道」をたどって、他の国ヘ流れ着いているのではないでしょうか?

ヤシの実

図2漂着したヤシの実(海部郡由岐町山座[1993年8月5日])

図2漂着したヤシの実(海部郡由岐町山座[1993年8月5日])

海岸にはゴミにまじって、大きなボールのようなものが、ころがっています。ココヤシの実です。徳島にもよく漂着していて、私達は、海部郡由岐町山座(かいふぐんゆきちょうやまざ)、海南町大里(おおざと)海岸、海部町福良(ふくら)などの海岸で見つけています(図2)。
日本の民俗学の礎(いしずえ)をつくつた柳田国男(やなぎたくにお)は、愛知県の伊良湖(いらこ)に滞在していた時、浜辺にヤシの実が打ち上げられているのを見つけました。この時に抱いた「どこから流れてきたのか」という想いが、後に、「海上の道」という大きな学問的なまとまりとなったのは有名な話です。「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子(やし)の実一つ……」という島崎藤村(しまざきとうそん)の詩も、藤村の友人であった柳田から闘いた話をもとにしてつくられたものです。
ご存じのようにココヤシは、熱需の海浜や河口地域で栽培される植物です。西表島(いりおもてじま)などでは実をつけたココヤシを見かけることが、ありますが、日本の本土では生育できません。ココヤシが徳島の海岸で見つかるのは、黒潮にのって南方から流れてきたものに違いありきません。やっとたどり着いたココヤシの実は、外果皮(がいかひ)がはがれ、繊維状(せんいじょう)の中果皮がむき出しになっています。

ゴバンノアシ

図3漂着したゴバンノアシ(左3つ:沖縄県石垣島および西表島(1994年10月および11月)。海部郡海南町大里海岸(1994年9月18日))

図3漂着したゴバンノアシ(左3つ:沖縄県石垣島および西表島(1994年10月および11月)。海部郡海南町大里海岸(1994年9月18日))

種子が「碁盤(ごばん)の脚(あし)」に見えるので、名前もそのままゴバンノアシ(図3)。マダガスカル、東南アジアから太平洋地域に広く分布していますが、日本では西表島と石垣島に、ごくまれに育成するにすぎないようです。
日本本土には分布しないにもかかわらず、漂着着種子としては古くから知られていました。徳島では、なかなか見つけることができなかったのですが、博物館友の会の行事「漂着物探し」(1994年9月18日) に参加していた吉村昌悟君(徳島市大原町)が見つけてくれました。長い旅をしてきたものらしく、外果皮だけでなく、中果皮の繊維質の部分までぼろぼろの状態でした。
ジャワのクラカタウ島では、火山の爆発で島の植物がなくなってしまったのですが、その後ゴバンノアシの果実がすぐに漂着して定着したことが知られています。このように、ゴバンノアシやココヤシはたた海を流れているたけではなく、自分たちの新しい住みかを求めて旅をしているのです。動けない植物が、海流に自分の種子を託すわけですが、その目的を達成できることはたいへんまれなことに違いないでしょう。

ビンに込められたメッセージ

図4.メッセージの入つだピンの漂着 (沖縄県竹富島小浜島[1995年3月23日])

図4.メッセージの入つだピンの漂着 (沖縄県竹富島小浜島[1995年3月23日])
 

 

1995年3月23日。石垣島から船で30分ほどの小浜島の海岸で、手紙らしきものが入ったビンが目に飛び込んできました(図4)。実際、その中には、次のような手紙が入っていました(図5)。

図5.ケ二一君からのメッセージ

図5.ケ二一君からのメッセージ


『1992年10月21日。ハーイ、ぼくの名前はケ二一・二ューベリー。マウント・ビュー小学校lこ通っています。ぼくのクラスの30人の生徒みんなが、手紙を書いてビンに入れます。ぼくの手紙を見つけたら連絡してくれませんか? ぼくの住所は:……』
さっそく、彼の手紙のコピーなどを送り、返事を待つことにしました。そして、しばらくしてから届いた彼の返事から、次のようなことがわかりました。
ケ二一君は今、アメリカのサンタ・バーバラに住む小学校の6年生。4年生だったとき、同級生のおじいさんが、ハワイまでヨットで航海することになりました。先生の発案で、クラスの一人一人が手紙を書いてビンに入れ、そのおじいさんに船から起に投げ入れてもらおうということになったのたそうです。用意したビンは30本。おじいさんは、ハワイまでの航海の途中、毎晩2本ずつ海に投げ込んたといいます。
さて、私たちの手元にまで届いたビンは、1992年11月11日に、北緯25度9分、西経132度53分、ハワイ諸島とアメリ力大陸のちょうど真ん中あたりで投げ入れられたものでした。そこから海流に乗って南下し、そして、北赤道海流に乗り換えて西ヘ向かい、さらに黒潮にのって北上することによって、14000kmにおよぶ道のりを、2年以上かけて小浜島までたどり着いたものと思われます(図6)。ちなみに、海に流されたビンのうち、もう1本はハワイで見つかっているそうです。

図6.太平洋の海流。ビンが投げ込まれだ位置(▲) と漂着しだ位置(◆)

図6.太平洋の海流。ビンが投げ込まれだ位置(▲) と漂着しだ位置(◆)


このニュースは、サンタ・バーバラの新聞や、テレビ、のニュースでもとりあげられたとのことです。ケ二一君にとっては、あきらめ、忘れかけていた頃の発見だけあって、喜びもひとしおのようでした。彼が送ってくれた新聞には、ケ二一君が、海洋や海流に新しい興昧を持ったこと、そして、それらをもっとよく勉強して、大学で海洋学の勉強をしてみたいという希望があることなどが書かれていました。
最近きた手紙によると、ケ二一君は、今、お金を貯め始めているそうです。17才になった時に、私たちのところに彼のビンとメッセージを見にくるためです。私たちは、彼に会えることをとても心待ちにしています。

おわりに

海岸のゴミたまり。そこにはいろんなメッセージが、たまっていることが、少しおわかりいたたけたでしょうか? ちょっと、海岸のゴミ拾いをやってみませんか。そして、そこにあるゴミや種子が、どんな所から、どのような旅をしてきたのか、考えてみませんか。また、自分たちが出したゴミがどこへ行くのかについても。

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