博物館ニューストップページ博物館ニュース031(1998年6月25日発行)ちょっと美味しい話(031号情報ボックス)

ちょっと美味しい話【情報ボックス】

文化推進員 北条ゆうこ

日本の食卓のレギュラ一的存在、味噌。今ではパック入りでスーパなどに並んでいますが、戦前までは農家なら自家製が普通でした。

さて、ここにちょっと変わったうつわがあります(図1)。お猪口(ちょこ)くらいの大きさですが、脚の部分に二つの穴があいています。これは何だと思われますか?実はこれ味噌を焼くためのうつわなんです。皿の部分に味噌をぬり付け、脚の穴には火箸か針金を通します。そして、逆さにつるして火鉢やコンロであぶるのです。焼くことおよそ5分でご飯のおかずの1品に。香ばしいかおりが食欲をそそります。

図1 現代の美濃焼 「味噌焼き皿」 (河三味噌本舗協力)

図1 現代の美濃焼 「味噌焼き皿」(河三味噌本舗協力)

 

この「味噌焼き皿」は徳島ならではのもので、20年ほど前までは味噌屋さんが特別注文で美濃焼の窯元に作らせていました。それを贈答用の味噌樽にサービスで付けていたのです。年配の方ならご存じの方も多いと思われますが、今は需要もなく、もう味噌焼き皿は作られていないということです。

徳島市の中心部は、江戸時代には徳島藩の城下町でした。その地下を掘ると、当時の町並みが出てきます。現在、徳島大学の工学部が建つ常三島地区は、武家屋敷が軒を連ねる武士の町でしたが、ここで発掘調査を行った際、江戸時代の味噌焼き皿がみつかりました(図2)。皿の部分は欠けでなくなっていますが、脚にあいた二つの穴がはっきリ見えます。最初は何に使われたものかわからず首をひねっていたのですが、郷土書を読んでいてやっとわかりました。大きさは脚の直径4cmほどで、現代のものより大きめです。生産地は不明ですが、おそらく近隣の窯場で焼かれたものでしょう。この出土品から、江戸時代の食卓にも焼き味噌が並んでいたことが証明されました。阿波名物の焼き昧噌は、江戸時代からの歴史を誇る郷土料理だったわけです。

図2 常三島遺跡出土「味噌焼き皿」 (徳島大学埋蔵文化財調査室協力)

図2 常三島遺跡出土「味噌焼き皿」(徳島大学埋蔵文化財調査室協力)

最後に、1849年(嘉永2年)創業、徳島市南新町の「河三味噌本舗(かわさんみそほんぽ)」の平土冨江(ひらどとみえ)さんからうかがった、美味しい味噌料理をいくつかご紹介しましょう。まず、焼き味噌は添加物を含まない白味噌を使用するのが一番。冷や奴にはひしおと呼ぶ少し辛めの味噌をのせてスダチをかけるとまろやかな味わいに。夏場が旬のキュウリにも、このひしおを添えるとおいしいモロキュウができあがり。博物館職員にも、昔は焼き味噌を食べたという人がいました。この人の場合は、半分に切ったユズやダイダイの皮に味噌と果汁を混ぜたものを入れて、火鉢で焼いて食べたそうです。冬場の味覚ですね。
失われつつある郷土の食文化を見直すことは、インスタント食品に固まれている現代人の健康を考えるうえでも大事なことかもしれません。今夜の献立に、季節感のある素材を使った味噌料理はいかがですか。

図3 贈答用味噌につけられた「味噌焼き皿」 (河三日未噌本舗 協力)

図3 贈答用味噌につけられた「味噌焼き皿」(河三日未噌本舗 協力)

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