アサギマダラと四国【CultureClub】

動物担当 大原 賢二

滋賀県ビワ湖バレイでマークされ,徳島県佐那河内村大川原高原で再捕獲された個体

滋賀県ビワ湖バレイでマークされ,徳島県佐那河内村大川原高原で再捕獲された個体

アサギマダラはふしぎなチョウです。本州の太平洋岸や、九州、四国の海岸部では食草である常緑のキジョランでちゃんと幼虫で冬を越せるのに、春は南から北へ、秋には南へと日本列島を行き来しています。なぜそのようなことをする必要があるのかはまだはっきりとはわかっていませんが、とにかく季節による長距離移動(渡り)をする日本で唯一(ゆいいつ)のチョウであることは間違いありません。

マダラチョウ科のチョウは日本には6種分布していますが、ほとんどは南西諸島だけに見られ、日本本土まで土着しているのはアサギマダラだけです。幼虫はガガイモ科のキジョランをおもな食草としていますが、夏には西日本の方ではカモメヅルやオオカモメヅル、ツクシガシワなど山地に多く見られるガガイモ科の植物を食べて1-2回の発生をすると思われ、夏の間に個体数を増やします。

このチョウは、少し前までは「平地では5月ごろに成虫が現れ、夏は平地では見られず、山地へ集まる。そして、秋になると再び平地に見られるようになり、冬でも枯れないキジョランだけで幼虫越冬をする」と考えられていました。
ところが、沖縄本島でこのチョウの観察をした人が、四月の中下旬ころと秋の10-11月ころのある日、突然ものすごい数のアサギマダラが現れ、2-3日するとまったく見られなくなる。その後、食草を探しても卵も幼虫も見られない・・・沖縄で見られるアサギマダラは、集団で移動する途中に立ち寄るだけではないだろうか、と考えはじめたのです。
1980 年から鹿児島昆虫同好会を始め、全国の有志の方々によって、ハネに油性ペンでマークをつけて放し、次にそのチョウが見つかったところとを結んで移動経路を調べようという調査が行われました。いまではこのチョウが春と秋に北へ、南へという季節を変えた移動をしていることがはっきりしています。このことは、いままでに何度か紹介しました(本誌18号、1995年など)。

では、アサギマダラにとって、四国がどのような位置にあるのかという問題について考えようとしても情報が非常に少なく、特に徳島県に関係する記録は一件もありませんでした。それどころか5年前は、奈良県でマークされた個体が室戸岬(むろとみさき)で再捕獲(さいほかく)されたという記録が一件あるだけにすぎなかったのです。

四国のアサギマダラに関する情報はここ2-3年、少しずつ増え始めています。特に秋になると室戸岬には、アサギマダラが非常にたくさん集まっていて、これらの中には本州の各地で夏にマークされたものがいくつも含まれているのです。滋賀県や奈良県、和歌山県、山梨県、群馬県などから飛んできています。また、昨年は室戸岬でマークをつけられた個体が、鹿児島県の種子島や与論島、沖縄県の宮古島などで再発見され、室戸岬が四国の出発地になっている可能性が非常に高くなってきました。しかし、このチョウはこの室戸岬までどのようにして来るのかとなると徳島県を調べないわけにはいかないのです。というのは、室戸岬とそこで再捕獲された個体の出発地を結ぶと、ほとんどすべての個体が徳島県の上を通過したということになってきます。はたして徳島県は通過するのか、あるいは徳島県のあちこちにも寄りながら、次第(しだい)に移動していき、最後に室戸岬に集まって、そこから風を見ながら海上へと出るのか、どうしてもこのチョウにとっての徳島県の意味を知りたいと考えていました。

徳島県と近畿地方の地図を見てみると、まず目につくのが、最近本州とつながった淡路ー鳴門を結ぶ線です。これは滋賀県や京都府、大阪府などからこの方向で四国へ渡り、室戸あたりに集まる・・・というコースを想定できます。もう一つは、本州のかなり東側から太平洋沿岸を少しずつ西へ移動し、紀伊半島の中部や南部に集まってきて、そこから西を目指すコースです。和歌山県か徳島県の阿南(あなん)市や由岐町などの海岸を目指すことになります。もちろん、紀伊半島から直接南西方向を目指して海上へ出るものもいるかもしれません。

一昨年からは重点的に調査を行う場所を決めました。淡路ー鳴門ルートで来るとすれば、鳴門の山になります。そこで、撫養(むや)町の妙見山(みょうけんさん)やその周辺の山にねらいを絞りましたが、残念ながら昨年は再捕獲記録は出ませんでした。もちろん鳴門だけでなく、徳島市内の眉山(びざん)や、佐那河内(さなごうち)村の大川原(おおかわら)高原も調査地点にしました。もう一つの紀伊水道ルートの調査ポイントは、まず一番東に伸びだしている阿南市蒲生田(がもうだ)岬でした。しかし、ここには秋にアサギマダラが好むヒヨドリバナ類やアザミの花がほとんどなく、もう少し内陸側の明神山(みょうじんやま)に決めました。ここは阿南市と由岐町の境になります。今年はこのチョウを調べてくださる協力者も増え、今年こそ再捕獲記録を・・・と秋の南下の時期を待ちました。

9月21日、私が佐那河内村の大川原高原にチッチゼミの調査に行った帰りに、「MG180 BV」というマークが付けられた個体を捕獲しました。この個体が8月4日に滋賀県のビワ湖バレイで大阪の箕面(みのお)学園の柳川可奈絵さんによってマークされたものとわかりました。約200kmを移動してきたことになります(矢印1)。また、10月4日に、鳴門市の妙見山で小学3年生の円藤祐輔君によって、ビワ湖バレイのすぐ近くの比良山スキー場でマークされた個体が再捕獲されました(矢印2)。翌5日には阿南市~由岐町の明神山で、神野清司さんが「大久1311」という記号の書かれた個体を見つけ、写真を写されました。これもビワ湖バレイからの飛来(ひらい)個体でした(矢印3)。これで淡路ー鳴門ルートの方はある程度確実といえそうな気がしてきました。そして、第2のルートとして予想した紀伊水道ルートですが、こちらも10月17日の午前中、同じく明神山で神野清司さんが「10.9,ツノ,日ー27」という記号の付いた個体を再捕獲され、写真撮影後また放したということで、和歌山県日高郡日高町西山でマークされたものと判明しました(矢印4)。これで和歌山からも来るのがハッキリしたと大喜びしましたが、さらに同日の午後、阿南市の大角京子さんが明神山に行かれ、そこで「西山,P-372,10.16,和 西山」と書かれた個体を再捕獲されました。これはその前日、同じ和歌山県の西山で京都の藤井恒さんによってマークされたものであり、わずか一日で海峡を越えたことになります(矢印5)。こうなると和歌山から西へ移動する個体の多くは、海峡を越えて徳島に上陸し、いろいろな花で吸蜜(きゅうみつ)しながら室戸方面へ移動していくのであろうということが考えられます。

2000年度の徳島県での再捕獲、及び移動を示しt図

2000年度の徳島県での再捕獲、及び移動を示しt図

そして、その確認もできました。10月9日に明神山で大角京子さん、龍君親子がマークして放した個体を、10月22日に室戸岬で、京都から調査に行かれた藤井恒さんが再捕獲されたのです(矢印6)。これで紀伊半島から阿南市あたりに上陸し、少しずつ移動しながら室戸岬付近に集まり、室戸岬や足摺岬(あしずりみさき)などから海へ出ていくという流れがあると考えて間違いないと確信を持てました。

このちいさなチョウたちが、遙(はるか)か海の彼方(かなた)へと飛び出すきっかけは何なのでしょうか?そしてどこまで行くのでしょうか?・・・まだまだナゾの多いこのアサギマダラ、皆さんもこのチョウたちのナゾに挑戦(ちょうせん)してみてはいかがでしょうか。

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