博物館ニューストップページ博物館ニュース041(2000年12月1日発行)箏銘 「九江」、石村因幡作、飯塚桃葉蒔絵(041号館蔵品紹介)

箏銘(そうめい) 九江(きゅうこう)、 石村因幡(いしむらいなば)作 飯塚桃葉(いいづかとうよう)蒔絵【館蔵品紹介】

美術工芸担当 大橋俊雄

 

最近当館に収蔵された楽器の箏です。 内面には「元禄五年/壬/柏屋/石村因幡掾藤原義久作/申/正月吉日」の墨書があり、制作年と作者が知られます。元禄5年は1692年にあたり、石村因幡掾(いなばのじょう)藤原義久は、京都に住んでいた琴三味線(ことしゃみせん)師です。

 

図1 全体

図1 全体

箏の頭と尻のところ(竜頭(りゅうとう)・竜尾(りゅうび))、側面の細長いところ(磯(いそ))などは、象牙(ぞうげ)で縁どり、木画(もくが)で幾何(きか)模様をあらわしています(図2)。木画とは黒檀(こくたん)、紫檀(したん)、象牙、染角などの切片(せっぺん)を貼(は)り寄(よ)せる寄せ木細工のような装飾法で、江戸時代の箏にときどき見られますが、現在では技法が絶えています。

図2 竜頭

図2 竜頭

図3 銘

図3 銘

 

側面の、細長い磯(いそ)と呼ばれる部分には瀟湘(しょうしょう)八景図(図4、5)が、その他の部分には群千鳥(むれちどり)、貝(かい)散らしなどが蒔絵(まきえ)されています。瀟湘八景とは、中国湖南(こなん)省にある名勝地の8つの風景で、昔からよく絵に描かれました。八景図の画面の初めには「天明二壬寅九月日/観松齋桃葉花押」めい(図3)、終わりには「観松齋/知足花押」の銘があります。天明2年は1782年にあたりますので、90年前に作られた古い箏を修理し、蒔絵をやりなおしたと想像されます。

図4 側面 瀟湘八景図(漁村夕照の一部)

図4 側面 瀟湘八景図(漁村夕照の一部)

図5 側面 瀟湘八景図(山市晴嵐)

図5 側面 瀟湘八景図(山市晴嵐)

 

観松齋桃葉(かんしょうさいとうよう)とは、蒔絵師飯塚桃葉のことです。彼は1764 年(宝暦14)に阿波徳島の藩主蜂須賀重喜(はちすかしげよし)に抱えられました。藩主の命令で料紙硯箱(りょうしすずりばこ)、印籠(いんろう)、鞍鐙(くらあぶみ)、太刀(たち)の鞘(さや)、琴(こと)の爪(つめ)などさまざまな道具に蒔絵をほどこし、1790年(寛政2)に没しました。子孫も代々蒔絵師として藩に仕えています。

戦後、桃葉が蒔絵をした箏が蜂須賀家から出たという話は、同家に関係した古美術商から一部に伝わっていました。しかしその方もいまは亡く、確認することはできません。この箏も伝来は不明ですが、瀟湘八景図を見るかぎり、飯塚桃葉の作として納得できる出来ばえをしめしているように思います。
なおこの箏には、本体を入れる外箱のほかに箏柱(そうじ)、爪(つめ)、爪箱、用途不明の小箱がついています。爪には、蜂須賀家の家紋(かもん)である左卍(ひだりまんじ)紋や梅の枝、落葉などが蒔絵されています。用途不明の小箱は、爪を携帯(けいたい)するための箱かと思われますがはっきりしません。これには左卍紋と松の木が蒔絵されており、2代目以後といわれている観松齋の銘が入っています。

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