博物館ニューストップページ博物館ニュース044(2001年9月16日発行)よみがえったあの日の記憶-28年前に撮影・・・(044号CultureClub)

よみがえったあの日の記憶-28年前に撮影ずみのフィルムから画像を取り出す試み-【CultureClub】

保存科学担当 魚島純一

昨年秋に開催した企画展「世紀末大博覧会」の準備のための資料調査を進める中で、とある家のタンスの引き出しから、撮影ずみのかなり古い写真フィルム1本が発見された。箱に書かれた文字などから、その家の主(あるじ)が28年前に撮影したものと思われたが、本人もまったく記憶にないとのことであった。そのままでも展示資料として使えそうではあったが、フィルムに写された28年前の画像が取り出せたら、なおさら格好の展示資料になると考えた。

見つか った28年前に撮影ずみのフィルム

見つか った28年前に撮影ずみのフィルム

 

この試みは、素人(しろうと)のそんな単純な、しかし今から考えればかなリ無謀(むぼう)な発想からはじまった。

実は、写真フィルムの寿命(じゅみよう)はそれほど長くはなく、撮影前のもので約2年、撮影ずみのものは1ヶ月以内に適切な現像処理をしないと、鮮明な画像を得ることはむずかしいという。まさに、写真フィルムは「なまもの」「生(い)き物(もの)」とも言える。
このフィルムの現像について写真店に相談したが、よい返事はいただけず、「10年ほど前のフィルムを現像したことがあるが、まったく画像が現れなかった」といった失敗談を教えてくれた。10年前でそのような状態であれば、28年前のものから画像を取り出すことなど不可能なことぐらい誰が考えてもわかった。

あきらめかけていた時、以前から文化財の保存関係でお世話になっていた瀬岡良雄(せおかよしお)氏のことを思い出した。瀬岡氏はフィルムメーカーの研究所にお勤めで、文化財保存に関心を持ちで、写真の保存に関する第一人者とも言うべき方である。しかし、そんな瀬岡さんから帰ってきた答えですら、「常識的に考えて、画像を得ることは無理であろう。」とのことであった。

なぜそこまでむずかしいのか?それには写真の保存性に関するいくつかの理由があるという。瀬岡氏によると、写真の保存性には大きく二つのステージがあり、一つは画像ができあがるまでの「生保存性(なまほぜんせい)」、もう一つは画像ができたあとの「画像(がぞう)保存性」であるという。

「画像保存性」に関しては各メー力がより安定性の高いプリン卜開発を目指し努力しており、100年以上の保存性は得られるようになっているという。

一方、「生保存性」は画像保存性の10~100倍程度不安定であり、通常はフィルムの箱などに書かれた有効期限(通常2年前後)が限度であると考えられている。実際、今回見つかったフィルムの外箱にも1974年5月の表示が確認できた。また、露光(ろこう)(力メラのシャッターを切った時)前後でその保存性が大きく異なり、今回の場合のような露光後の保存性(専門的には「潜像(せんぞう)保存性」という)はさらに短くなるという。
もう一つの問題は力ラネガの現像処理技術の進歩である。力ラーネガを現像処理する技術はフィルムそのものの進歩と密接に関係している。現像処理にかかる時間の短縮化(迅速化(じんそくか))を図るために、フィルムそのものが改良されている。それ自体は技術の進歩なのだが、今回見つかったフィルムが発売されていた当時の処理法と現在の処理法は大きく異なり、そのまま処理すると画像が得られなくなってしまうらしい。実は写真店に相談した際に教えていただいた失敗談も、この処理法が変わったことが原因であったことがわかった。

このように、なまものであるフィルムに画像が残されている可能性が極めて低く、かつ現像処理法が当時のものとは大きく異なるという専門家からの説明を聞き、「やはりこのフィルムから画像を取り出すことは無理なのだ。」とさとった。

しかし、瀬岡氏からは意外な言葉が返ってきた。
「研究の一環として画像の取り出しをやってみましょう。この仕事ができるとすれば、フィルムをつくったうちだけでしょうから。」

フィルムを預けて画像の取り出し作業を依頼したものの、「何かうっすらとでも画像が出てくれば・・・」という程度の淡い期待とともに、それ以上に、十中八九無理であることは覚悟していた。ところが、半月ほどたったある日、「はっきりと画像が出た!」という思いもかけない連絡が飛び込んで来た。日の目を見ることがなかったはずの画像が、28年の歳月を経て姿を現したのである。

実際に行われた処理の概要は次のとおりである。



①現行の処理とは現像主薬(しゅやく)・処理時間が大きく異なる処理が必要なため、フィルムに見合った現像処理液を特別に手調合し、慎重に現像処理を実施した。

②明らかな力ブリ現象はあるものの、予想以上に鮮明な力ラーネガ画像が得られた。画像は135のハーフサイズ、28コマであった。赤緑青(RGB)の順に画像情報の劣化が大きく、青情報はほとんど残されていなかった。

③上記ネガより現行力ラープリントにプリントした。それなりの力ラ一画像は得られたが不満足なものであったため、28コマから6コマを選択し、デジタル画像処理を実施することとした。

④ネガに残された画像をデジタルスキャナで読み込み、階調変換(かいちょうへんがん)、色補正(いろほせい)、濃度補正(のうどほせい)などの画像処理を実施した結果、補正力ラ一画像・補正黒白画像ともに、一般には満足できる画像を得ることができた。



その後、企画展でこのフィルムから取り出された画像が展示された。フィルムには、昭和47年(1972)の10月2日、一家がとある遊園地で過ごした楽しかった日の記憶が残されていた。もちろん一家の誰もが見たことのない画像であり、家族の記憶の中からも消え去っていたものであった。

左:ネガよりプリントしたもの 中:画像処理したもの(補正カラー画像) 右:補正黒白画像

左:ネガよりプリントしたもの 中:画像処理したもの(補正カラー画像) 右:補正黒白画像



今回の取り組みは、単に古いフィルムの現像に成功したという事実だけにとどまらず、写真の世界はもちろん、素材(そざい)の寿命を考える学会でも大きく注目され、学会発表にまで取り上げられた。

写真の歴史はまだたかだか100年程度であるが、現代の私たちの生活にどれだけ深く浸透(しんとう)しているかを振り返れば、100年あるいは200年後にどれだけ多くの写真が文化財として扱われるようになるかは容易に想像できる。すでに、博物館などでも写真を文化財として扱い、他の文化財同様にその保存を真剣に考える動きも見られる。

そのような中で、この取り組みは、アナログ技術とデジタル技術の協力の下(もと)に実現した、とても大きな意義のあることであったと感じている。今後の写真の保存にも大きな可能性を見いだすことができたのではないだろうか。

最後に、瀬岡良雄氏をはじめ、関裕之(せきひろゆき)、内田充洋(うちだみつひろ)、清都尚治(きよとなおはる)、山本真弓(やまもとまゆみ)の各氏と富士写真フィルム(株)足柄(あしがら)研究所には、写真に対してはまったく素人の無謀な考えを真剣に受け止めていただき、多大なご努力とご協力をいただいた。ここに記して心から感謝いたします。

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