森祖仙筆猿図 佐野山陰賛【館蔵品紹介】
美術工芸担当 大橋俊雄
江戸時代の画家、森祖仙(もりそせん)が描いた猿(さる)の図で、画面の中に、儒学者(じゅがくしゃ)の佐野山陰(さのさんいん)が漢詩をしたためています。
図1 森祖仙筆 猿図
祖仙(1747-1821) は名を守象、字(あざな)を叔牙(しゅくが)、号を祖仙、狙仙(そせん)、霊明庵(れいめいあん)、屋号(やごう)を花屋、通称を八兵衛(はちべえ)といいます。狩野派(かのうは)の勝部如春斎(かつべじょじゅんさい)に絵を学び、やがて新しい画風をひらいで大坂で活躍(かつやく)しました。彼は動物画が上手(じようず)で、なかでも写生風の猿は名人といわれ、60歳のころには猿を意味する「狙」字を用いて狙仙と改号しました。代表作に、人丸神社(兵庫県明石市)に伝来した猿図の絵馬(えま)があります。
この作品は、縦135.2cm、横52.0cmの紙本で、栗の木に登って毬(いが)をとる1匹の猿が描かれています。「祖仙」の署名がありますので、改号する前の制作と判断されます。
漢詩を記した山陰(さんいん)(1751-1818) は、名を之憲(ゆきのり)、字を元章といいます。徳島の助任村(すけとうむら)に生まれ、京都に出て儒学を学び、阿波蜂須賀家(はちすか)に仕えました。故郷の徳島では、藩撰(はんせん)の地誌『阿波志』の編者として知られています。
図2 落款(らっかん)
図3 佐野山陰 賛文
山陰が祖仙と直接交流したかどうか、はっきりしませんが、お互いの存在はよく知っていたと思われます。江戸後期における上方の文化の一端をしのばせる作品です。