博物館ニューストップページ博物館ニュース058(2005年3月25日発行)写された島のくらし~出羽島の写真~(058号CultureClub)

写された島のくらし~出羽島の写真~【CultureClub】

民俗担当 磯本宏紀

写真群との出遭い

出羽島(でばじま)の民俗について調査する中で、出羽島のあるお宅に保管されていた大量の写真アルバムを見る機会に恵まれました。それらの写真は、大正期から昭和40年頃の間に撮られたものなのですが、その多くが、その時代、出羽島で暮らした人によって撮影されたものでした。昭和30年頃の秋祭りのシーン、鰯(いわし)の大群が港の中まで迷い込んできたときの写真、島中総出の運動会のひとコマなどがあります。
写真は撮影者の視点によって切り取られた一場面ですが、調査者の立場から見るなら、記録された場面の詳細がわかるだけでなく、撮影者が何を記録すべきだと考えたのか、知る手がかりにもなるはずです。一方、所蔵者が写真を繰り返しみることで、記憶が反復され、再構成されることもあるでしょう。一群の写真から、写真の資料としての意味と活用方法について考えてみましょう。

保管されていた出羽島の写真

今でこそ多くの人がカメラをもち、生活のさまざまな場面で写真撮影をしています。ところが、昭和30年頃には出羽島でカメラをもって写真撮影をしていたのは2人だけだと聞きます。写された写真1枚1枚が数少ない画像情報というわけです。その撮影者のうちのひとりは、現在は牟岐町(むぎちょう)に住んでいます。そして、数百枚の紙焼き写真と、数千枚にも及ぶであろう、膨大な数の各種ネガフィルムが保管されていました。さっそくそれらを借用し、目録を作成し、デジタルデータとして保管しています。そうした作業の中で気付いたのは、日常的なもの、当たり前に存在するものにはなかなかレンズを向けないということです。写真の多くは家族で出かけたときのものだったり、学校の運動会、卒業式、遠足、駅伝大会、秋祭り、それから、婚礼や法事のものだったり、特別な日の写真が圧倒的多数を占めるわけです。しかし、撮影者が意図したかどうかわかりませんが、そこに写り込んでいる背景、服装、しぐさなど興味深いものもたくさんあります。現在、その写真を見た私たちには鮮烈な印象を与えます。

 

たとえば出羽島港を写した景観記録として

たとえば、昭和30年頃に撮られた図1では、2本の幟(のぼり)が立てられ、出羽神社前を移動する神輿(みこし)の周囲のにぎわい、正装した人々の服装、現在ではコンクリート堤防に変わった石積みなどを確認することができます。図2は図1とほぼ同時期に撮影された写真ですが、神社付近を側面から岸壁に沿って撮影したもので、子供たちが水遊びをする姿を見ることができます。

図1 出羽神社前の秋祭り(昭和30年頃)個人撮影撮影・個人蔵

図1 出羽神社前の秋祭り(昭和30年頃)個人撮影撮影・個人蔵

 

図2 水遊びをする子供たち 個人撮影・所蔵

図2 水遊びをする子供たち 個人撮影・所蔵


それでは、これら2枚の写真を、ほぼ同じ場所、同じ角度から平成17年2月に撮影した図3、4と比較してみます。神社の周辺に松の木が植えられ、少し枝が伸びてはいますが、そのままの場所にあるようです。一方で、昭和30年頃には家のすぐ近くまで海岸が迫っていたのが、岸壁が広がり、図2で1人の子供が腰掛けている石造物も据え替えられているのがわかります。この石造物は、現在は昭和43年建立の小さい歌碑になっているのですが、昭和30年頃のものとは明らかにかわっています。
高台から撮影された港の図5、6を比較してみましょう。この写真からも港にある松の木の変化がわかります。港の最奥部、写真中央辺りには数本の松の木を確認することができます。図6では松の木は図1、2でも確認した神社周辺のものしか見あたりません。図5から図6への変化について、聞き取り調査で得た情報を重ね合わせると、昭和20年頃まで「大型の鰹(かつお)船を港内に繋(つな)いでおくのに利用した木」であることがわかります。出羽島の多くの人に記憶された、港最奥部に松の木のある景観を、図5によって現在でも確認できるのです。

図3 出羽神社付近(平成17年2月)筆者撮影

図3 出羽神社付近(平成17年2月)筆者撮影

図4 神社前の家と岸壁(平成17年2月)撮影筆者

図4 神社前の家と岸壁(平成17年2月)撮影筆者

 

図5 港付近鳥瞰(昭和30年頃)個人撮影・所蔵

図5 港付近鳥瞰(昭和30年頃)個人撮影・所蔵

 

図6 港付近鳥瞰(平成17年2月)筆者撮影

図6 港付近鳥瞰(平成17年2月)筆者撮影

特別な写真を飾っておくこと

写真は単なる画像の記録媒体になっているだけではなく、そこに写る人物の肖像が意味をもつという別の側面にも触れておきます。仏壇のある家では亡くなった人の遺影をおいていますし、多くの人が目にする場所で政治的、宗教的指導者などの写真が飾られることもあります。また、写真の所有者によって多数ある写真の中から特定の写真が選択され、特別に保管され、飾られるということがあります。
出羽島の観栄寺でも、高台から出羽島港と集落を見下ろす画角で撮られた、ちょうど図5のような写真を、大きく引き伸ばして額に入れ欄間(らんま)にかけてあります。また、図7は集会所の壁に写真や肖像画が掛けられた一例です。日常生活の中で記憶を反復する、あるいは地域を象徴するための「装置」となることも確認できます。

図7 写真を飾る一例(平成17年2月)筆者撮影

図7 写真を飾る一例(平成17年2月)筆者撮影

写真資料としての活用

さて、改めて書くまでもないのですが、博物館の展示には、たいていの場合何らかの写真が付されますし、そのほか資料の整理、管理のために撮られる写真もたくさんあります。ただ、今回の写真群は、1点1点は個別の写真資料という性格をもつと同時に、ある特定の個人が数十年にわたって撮影した写真であり、全体での撮影傾向を知る資料にもなります。何をどれくらい記録しようとしたのか、大量に撮影された写真からどれを選び出して紙焼きしたのか、撮られた写真がどのように扱われたのかも注目したいことです。今回の写真群から、特定の撮影者の視点を検討する「個人写真誌」、出羽島の民俗全般を写真で綴(つづ)る「写真民俗誌」としての整理が可能かもしれません。 

借用した写真資料は現在整理中ですが、いずれ撮影者や出羽島の方々にも協力いただきながら、地元でも公開できればと考えています。

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