開墾の指揮をとる中川虎之助(1894年(明治27)7月撮影)【表紙】
15周年記念企画展担当 魚島純一
中川虎之助(なかがわとらのすけ)(1859~1926)は上板町神宅(かみいたちょうかんやけ)の出身で、90年以上も前(1914)に、国会議員として淡路島と鳴門の間に橋を架けることを提案した人物として知られています。中川はまた、八重山(やえやま)(石垣島(いしがきじま))でのサトウキビ栽培を志し、現地に渡りサトウキビ畑を開墾し、製糖工場を建てるなど、現在の石垣島の基幹産業(きかんさんぎょう)となっている製糖を伝えた人でもあります。写真は、石垣島の名蔵(なぐら)において1894年(明治27)7月に撮影された開墾を指揮する中川虎之助で、当時のようすを知ることができる数少ない貴重な資料の一つです。(中川佳弘氏提供)
八重山・石垣島の名蔵で馬に乗って開墾の指揮をとる中川虎之助(1894年(明治27)7月撮影)
文化の森開園15周年記念企画展「ふるさと再発見―15の人・もの・場所―」では、徳島にゆかりの深い15の人・もの・場所にスポットをあて、知っているようであまり知らなかったり、意外な一面があるものなどについてさまざまな資料を使って紹介します。ふるさと徳島を“再発見”してみてください。