博物館ニューストップページ博物館ニュース060(2005年9月15日発行)Q.昨年、園瀬川で噴砂が見られたというのはほんとうですか?(QandA)

Q.昨年、園瀬川で噴砂が見られたというのはほんとうですか?【レファレンスQandA】

地学担当 両角芳郎

A.昨年10月20日、台風23号が徳島にも大雨をもたらし、園瀬川(そのせがわ)が氾濫(はんらん)して園瀬橋の上流一帯が水浸しになったことは記憶に新しいと思います。その時、上八万町上中筋(かみはちまんちょうかみなかすじ)の園瀬川南岸の堤防わきの田んぼで噴砂(ふんさ)が起こりました。しばらく後に新聞などで報道されたので覚えている方も多いのではないでしょうか。私もその直後に現地を見学し、直径2m・高さ30cmのものを最大に、大小10数個のクレーター状の噴砂を確認しました(図1、 2)。田んぼの所有者の話では、以前にも小規模なものは見たことがあったものの、今回ほど大きなものは初めてだとのことでした。

図1 上八万町上中筋で見られた噴砂群。右手の茂みが園瀬川の堤防。(2004年11月27日撮影)

図1 上八万町上中筋で見られた噴砂群。右手の茂みが園瀬川の堤防。(2004年11月27日撮影)

図2 図1の右手前の噴砂のクローズアップ。

図2 図1の右手前の噴砂のクローズアップ。

地層の液状化や噴砂という現象が人々に認識されるようになったのは、新潟地震(にいがたじしん)(1964年)以降だと言われています。沖積(ちゅうせき)平野や埋立地(うめたてち)、旧河道(きゅうかどう)などのゆるく堆積(たいせき)した水分を多く含む地層が地震の震動を受けたりすると、水圧が高まり、堆積粒子(砂)が浮遊して流動化する現象が起こります。それが液状化です。そして、液状化した砂と水がより低圧の方向へ移動し、地表に噴出するのが噴砂・噴水と呼ばれる現象です。その際、地中に埋設(まいせつ)された配管を持ち上げたり、地表の構造物を破壊したりして大きな被害をもたらします。阪神淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)(1995年)や芸予地震(げいよじしん)(2001年)でも、液状化による被害が大きな注目を集めました。阪神淡路大震災の時には、徳島県下でも鳴門市(なるとし)の海岸部ではたくさんの噴砂・噴水が見られました(図3)。

図3 阪神淡路大震災の時に生じた噴砂(鳴門市里浦)。この時の噴水は高さ2mにも達したとのこと。(1995年1月20日撮影)

図3 阪神淡路大震災の時に生じた噴砂(鳴門市里浦)。この時の噴水は高さ2mにも達したとのこと。(1995年1月20日撮影)

ところで、私は昨年、博物館ニュースNo.56(9月17日発行)に「上八万盆地の園瀬川の古流路」という記事を書きました。その中で、現在の園瀬川は江戸時代初期の付け替え工事によって作られたもので、それ以前の園瀬川は現在とは異なる流路をとっていたと考えられることを紹介し、古流路の推定を行いました。台風23号による園瀬川の氾濫が起こったのは、それから1カ月後のことでした。
昨年の台風23号による園瀬川の増水は近年まれなもので、上八万町一帯では堤防ぎりぎりまで水位が上がりました。上中筋の噴砂が見られたあたりは、ちょうど園瀬川の古流路の真上に当たっており、地下には古流路に沿って砂利層(じゃりそう)が広がっていて、ふだんから伏流水が流れていると考えられます。そこへ台風による増水で河川水位が上昇し、それに伴って地下水位も上昇し、堤防わきの表土の弱線(じゃくせん)に沿って水と砂が地表に噴出し、噴砂が生じたものと考えられます。

噴砂という現象は、平野部で地震のときに起こるものと思っていましたが、局地的で小規模な噴砂は川の増水によっても生じることがあることを知った次第です。

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