中央構造線(板野断層)の断層変位地形【野外博物館】
地学担当 両角芳郎
博物館では数年前に、板野町(いたのちょう)の阿讃山地南麓(あさんさんちなんろく)で地質や地形の見学を目的とした「野外自然かんさつ」会を行ったことがあります。そのコースのハイライトでもある沖積扇状地(ちゅうせきせんじょうち)を切る低断層崖(ていだんそうがい)は、中央構造線による典型的でわかりやすい断層変位地形のひとつであることから、本誌上でも紹介しておきたいと思います。
阿讃山地と吉野川平野の境界部には、中央構造線という我が国でも第一級の断層(断層群)が東西に走っていることはよく知られています。これらの断層のうち、最近(第四紀後期およびその後の時代)まで活動を繰り返したことのある断層は、中央構造線活断層系と呼ばれ、徳島県下では西から、池田(いけだ)断層、三野(みの)断層、父尾(ちちお)断層、神田(つんでん)断層、板野断層、鳴門南(なるとみなみ)断層、鳴門断層が知られており、断続したり、雁行(がんこう)・並走しながら東西方向に続いています。
阪神淡路大震災以降、全国的に活断層が注目されるようになり、将来の防災に役立てるためにその活動履歴(りれき)を調べる事業が各地で行われました。徳島県においても、平成10~12年に鳴門市、板野町、三野町(現:三好市(みよしし))の4、5ヵ所で、断層が通ると予想される場所を南北に掘削(くっさく)して断層を確認し、その活動履歴を調べる卜レンチ調査が行われています。
さて、板野町吹田(ふきた)~大寺(おおてら)一帯は大坂谷川(おおさかだにがわ)がつくった扇状地で、南にゆるく傾斜した平地が広がっています(図1)。しかし、板野東小学校グラウンドと校舎敷地の間を東西に走る道路を境に、その北側と南側では2mほどの高度差があり、道路に沿って1.5~2mの段差(南落ち)が東西に300mほど続いているのが認められます(図2)。これが板野断層形成された低断層崖であると考えられます。そして、この低断層崖を南北に横切る道路はここで坂になっているのが認められます。
図1板野町周辺の断層変位地形(森野ほか、2001)
図 2 板野東小学校グラウンド北側を通る道路と低断層崖。道路を境に左側(南側)が右側(北側IJ)に対して 1.5~2m落下している 。
図3板野町川端のトレンチ調査で見つかった断層(1999年8月9日撮影)
板野東小学校から東へ800mほど行った板野町川端(かわばた)では,平成11年に徳島県によって卜レンチ調査が行われ(図1の川端B卜レンチ)、砂礫(されき)層を切る明瞭(めいりょう)な断層が確認されました(図3)。地層の年代および地層と断層の関係の分析(ぶんせき)から,この地域では約2,000年前以降に3回のイベント(地震)が発生し、地層の変形を生じさせたと考えられています。