前方後円墳という形-宮谷古墳と前山1号墳・2号墳-【CultureClub】
考古担当 高島芳弘
はじめに
前方後円墳は古墳時代に特有の墳墓形式で、三世紀後半から七世紀前半まで、盛んにつくられました。畿内を中心として東北地方南部から九州地方の南部にかけて分布しています。円丘の片側に方丘を付け足した外形が蒲生君平(がもうくんぺい)の宮車模倣説(きゅうしゃもほうせつ)を生み、これが前方後円墳という名称の起源となりました。銚子塚(ちょうしづか)、茶臼山(ちゃうすやま)、車塚(くるまづか)、二子山(ふたごやま)などとその形から呼び習わされているものもあります。
後円部には竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)などの埋葬(まいそう)施設があり、1つだけでなく、2つ以上の埋葬施設がある場合もあります。前方部の役割については祭壇説がとられたこともありました。しかし、前方部に埋葬施設があるものもあり、現在のところその評価は定まっていません。
古いタイプの前方後円墳
長い問、奈良県の桜井茶臼山古墳や大阪府の紫金山(しきんざん)古墳のように前方部の平面形が長方形で低いものが古く、前方部が高く、端部に向かつて聞くものが新しいとされていました。ところが、前方部が途中で開くものが古いという見解を近藤義郎が「前方後円墳の成立と変遷」で示し(図1)、バチ形の前方部という言葉も使われるようになりました。
図1前方後円(方)墳外形の変遷(近藤、1968)
以後、前方後円墳の墳丘の平面形についてさまざまな研究が行われてきましたが、その成立と絡めて特に注目されるのは、纒向型(まきむくがた)前方後円墳と讃岐型(さぬきがた)前方後円墳です。
纒向型前方後円墳は、寺沢薫によって纒向石塚をはじめとする奈良県の纒向古墳群の検討から提唱された型式です。前方部の長さが後円部の直径のほぼ半分で、前方部が小さくその先端がはっきりしないものが多いとされています。
一方、讃岐型前方後円墳は北条芳隆によって香川県、徳島県の積石塚が多く分布する地域の古墳の検討から提唱されました。後円部と前方部の比率はほぼ1: 1となり、前方部端を溝で区画するか、高く盛り上げて目立たせています。
東四国における前方後円墳のあらまし
東四国では積石塚の前方後円墳が多く、後同部だけが積石塚となるものもあり、阿讃(あさん)積石塚分布圏として古くから注目されていました。
香川県には、長さ40m未満の小さな前方後円墳が数多くあります。大きさによりその存在感を示す前方後円墳であるのに、小さな前方後円墳が数多くあるという事実には興味がもたれます。古墳時代の前期前半にこの小さなものが圧倒的に多く、墳長40mに満たないものが40基近くあります。新しくなるに従いその数は少なくなると同時に、古墳の大きさは次第に大きくなっていきます。徳島県でも同様に、前期には小さな前方後円墳が多く見られます。
前山1号墳・2号墳と宮谷古墳
前山1号墳・2号墳は、名西郡石井町の標高160 mの尾根上に立地し、全長が18mに満たない東四国で最小の前方後円墳です。
前山1号墳は、讃岐型前方後円墳の例としてよく知られています(図2)。後円部はほぼ積石で築かれており、前方部は盛り土で整えられ、その端及び側縁には葺き石が葺(ふ)かれています。全長17.7m (前方部長9m、後円部径9.7m)あります。
後円部との接点から前方部中程にかけて次第にすぼまり、ここが一番低くなっています。幅は2.2mで高さは0.3mです。ここから端に向かって再び開き、高くなり始めます。前方部端の幅は推定で5.5mほどあります。後円部のほぼ中央に1基の図2 前山1号墳竪穴式石槨があり、主軸に直交して南北を向いています。内法は長さ約3.1m、幅1m (北側)とO.8m(南側)です。
図 2 前山 1号墳
前山1号墳のように、前方部中程まですぼまり、再び開くという平面形は、鶴尾(つるお)神社4号墳、養久山(やくやま)2号墳、野田院古墳などに似ています。しかし、前方部中程が一番低く、前方部端が高く盛り上がるという側面観は、爺ヶ松(じいがまつ)古墳や石清尾山(いわせおやま)古墳群の双方中円墳である猫塚(ねこづか)などに似ています(図2)。
前山2号墳は、全長約18m(前方部長約7m、後円部径約11m)で、くびれ部幅4.5m、前方部の幅6mです(図3)。後円部の中央に2基の埋葬施設があり、それらは主軸にほぼ平行で、長さはともに4~5mあります。
図 3 前山2号墳(左半分)と宮谷古墳(右半分)の合成図(天羽[1997]および三宅[2002]による)
徳島市国府町の宮谷古墳は、全長37.5m(前方部長12.5m、後円部径25m)、くびれ部の幅8.5m、前方部の幅15.5mです。前方部はくびれ部付近から若干の湾曲を持って開いていきますが、くびれ部から2.5m付近のところに屈曲があります。後円部中央に墳丘の主軸と平行して東西方向の竪穴式石槨が1基あります。
宮谷古墳は、前山2号墳のほぼ2倍の大きさで、後円部に対する前方部の比率が少し小さくなっています。前方部は平面的に若干の湾曲を持って開いていますが、上面は平坦て、後円部とは段を持って区画されています(図3)。一方、前山2号墳では、この段の部分には階段状に緑色片岩が積まれています(図4)。
図 4 前山 2号墳くびれ部の石積み
徳島県の前方後円墳の特徴
徳島県の前方後円墳は、埋葬施設が東西を向くものが多く、香川県の古墳との共通点が多いと考えられてきました。香川県の前方後円墳は、次の約束事をきっちりと守っています。すなわち、前方部と後円部の比率が1:1となること、古墳の縁の葺(ふ)き石を石垣状に積み上げること、前方部が尾根の上側に位置すること、埋葬施設が古墳の主軸に斜行して東西を向くことなどです。
宮谷古墳では、纒向型(まきむくがた)前方後円墳に近い平面形です。その竪穴式石槨は東西を向いていますが、畿内の古墳と同様に主軸に平行につくられています。前山1号墳の場合は墳形は讃岐型前方後円墳と考えられますが、埋葬施設は主軸に直交して南北を向くという畿内的なものとなっています。宮谷古壌と前山2号墳は、共に葺き石を石垣状に積み上げていますが、前方部は尾根の下側に位置し、平野の方を向いています。
このように、徳島県の古墳は東四国で香川県の古墳と一体というわけでなく、香川、畿内両方からの影響を受けて前方後円墳を造営したのだと考えられます。