絶滅(ぜつめつ)のおそれのある小魚-カワバタモロコ-【CultureClub】
動物担当佐藤陽一
2004年8月、徳島県では絶滅したと考えられていたコイ科の淡水魚力ワバタモロコが再発見されました。徳島県下における初記録は1946年の名西郡藍畑(みょうざいぐんあいはた)村(現石井町)でこれが本県における唯一の記録でした。徳島県版レッドデータブック(絶滅のおそれのある野生生物についてまとめた冊子)が策定されたのが2001年で、この時まで50年以上にわたり記録がなかったので、絶滅とされたのです。今回の再発見は58年ぶりになります。それ以来、著者らは本種を研究テーマとしてきましたので、ご紹介したいと思います。
カワバタモロコとは?
力ワバタモロコ(図1)は日本固有のコイ科の淡水魚です。静岡県以西の本州と四国、九州の農業水路やため池に生息し(図2)、四国では、徳島県と香川県だけに分布します。全国的に生息地が減少しており、国のレッドデータリストでは絶滅危倶(きぐ)IB類(IA類に次いで絶滅の危険度が高い)にランクされています。成魚で全長5cmほどで、メスはオスより一回り大きくなります。産卵期は6~7月頃で卵は水草などにばらばらに産み付けられ、孵化(ふか)までの時間がひじように短く、ほぼ1昼夜しか掛(か)からないという生態的特徴を持っています。
図1カワパタモロコ(徳島県産)
図2カワパタモロコの生息する県の分布。すべての生息県において県版レッドリストに掲載されている 。
減少する水田域魚類
田んぼのある風景とは日本列島に人が住みだし、稲作が始まって以来の原風景で、我々にとってとてもなじみ深いものです。かつて、水田とその周辺の水路(ここでは水田域と呼びます)は魚に隈らず様々な動植物の宝庫でした。
それが1960年代以降、急激に変わってきました。都市周辺では、都市の拡大と共に景観が大きく変わったので、わかりやすいのですが、実際には、田んぼの広がる農村部でも大きな変化が生じていたのでした。その結果、都市周辺だけでなく、全国的に、それまでありふれた力ワバタモロコのような生物が絶滅の危機に瀕することになってきたのです。
具体的に、どのような環境変化が生じたのかを説明する前に、現在レッドデータブックに掲載(けいさい)されている魚類で見てみましょう。図3は国のレッドデータリス卜に掲載されている汽水・淡水魚の種数を生息環境別にまとめたものです。このグラフから絶滅のおそれのある魚類のうち、約2割が水田域魚類であることがわかります。これらにはメダ力やタナゴ類、 ドジョウ類など38種が含まれ、レッドリストに掲載される水田域魚類は、今後ますます増えると予想されます。
図3国のレッドリスト(環境省司 2007)に見る汽水・淡水魚の生息環境別の掲載種数割合。全体は絶滅・絶滅危慎 I類(AおよびB),同E類,および準絶滅危慎からなる174種。
水田域魚類が減少する理由
さて、どうしてありふれた魚であったはずの力ワバタモロコのような水田域魚類が減ってきたのでしょうか?都市や町の近郊でしたら、開発によって水田そのものが消失したり、汚濁(おだく)水の流入による著しい水質悪化の影響が大きいと考えられます。では、今も田んぼが広がる農村地帯ではどうでしょうか?一見したところ、今でも自然が残っていそうですが、残念ながら、一昔前の田んぼと今の田んぼでは、生きものの生息環境の面からは雲泥(うんでい)の差があります。
どこが違うかというと、細かく見るといろいろありますが、大きくは2つです。かつての田んぼの水路や畔(あぜ)は、土や石積みでできていましたが、現在ではコンクリ一卜です。また、かつての田んぼと水路では、灌漑(かんがい)期においては両者の間に水面差があまりなく、魚が田んぼに出入りできました。現在では田面をかさ上げしであるので、灌漑期になっても田面と水路の水面との間には段差があり、魚は田んぼの中へ入ることができません。
上の2つの変化により、魚の生息空間は面(水路+田んぼ)から点(水路の一部)へと大きく縮小することになったのです。つまり、生息空間の構造が変化したために、生息に適さなくなり、減ってきたと考えられるのです。これが全国的に水田域魚類が減少してきたことに大きく係わっていると考えられます。
もちろん、地域ごとには水田地帯て、あっても水質の悪化の影響も大きいことがありえます。実際、徳島県の力ワバタモロコ生息地では、水路構造よりも水質が大きく係わっていることが、著者らの調査により判明しました。
徳島県における生息状況と生息環境
徳島県で現在判明している生息地は、吉野川下流の平野部のハス田地帯にあります。徳島県の平野部の多くは稲田を中心とした水田地帯ですが、全国的な傾向と同様に土水路と湿田(かさ上げしていない田んぼ)はほとんど残っていません。しかし、力ワバタモロコの生息が確認されたハス田の水田地帯には、今でも土水路と湿田がまとまって残っているのです。
しかし、この場所でも環境が変化してきでおり、2004年11月には30地点で力ワバタモロコの生息が確認されていたのが、 2006年6月と10月にはそれそれ6地点と4地点へと、わずか数年で大幅に減少してしまったのです。
原因を調べてみると、富栄養化(ふえいようか)に伴う夜間における貧酸素化(ひんさんそか)の影響らしいことがわかってきました。調査時に景観をみてもほとんど違いを感じなかったのですが、測定値は明らかにここ数年で水質が悪化したことを示しています。
そういう目で改めて調べ直してみると、 1996年から始まった、ハス田へ水を入れるためのパイプライン整備事業が、ちょうど2005年に完成したことがわかりました。それまでハス田への水の出し入れは、水門による水位調節で行っていたのですが、ハス田の画に設けられた水栓(すいせん)をひねればいつでも水を入れることが可能になリました。その結果、水路はただの排水路と見なされるようになり、これまで、きちんと行われていた泥上げと水門操作による水管理が十分に行われなくなって来たようです。そのため水路が泥で、埋まりだし、水の斐換が悪くなり、水質が急激に悪化してきたと考えられるのです。
都市化したわけでもなく、田面のかさ上げや水路護岸のコンクリ-卜化がなされたわけでもないのに、営農形態が歪わることにより、力ワバタモロコが大きな影響を受けることになったのです。このままでは、近い将来、本当に絶滅する危険性が高いといえるでしょう。