博物館ニューストップページ博物館ニュース073(2008年12月1日発行)Q.マイキリ」は大昔の火おこしの道具ではないと・・・(073号QandA)聞いたのですが

Q.「マイキリ」は大昔の火おこしの道具ではないと聞いたのですがほんとうですか?【レファレンスQandA】

保存科学担当 魚島純一

独特の形をした「マイキリ」(図1)は、テレビなどの映像を通して火おこしに使われるようすを目にする機会が多く、大昔から使われている火おこし道具(発火具(はっかぐ))だと思われている方が多いようですが、実は違います。

図1マイキリ

図1マイキリ

現代のようにマッチやライターを使って簡単に火をおこすことができるようになったのは、実はつい最近と言ってもよい明治時代以降のことです。

それ以前は、いわゆる火打(ひう)ち石(いし)による火花式発火法(ひばなしきはっかほう)が主流でした。火打ち石は、チャー卜やメノウなどの非常に硬(かた)い石と鉄をたたき合わせた際におこる火花を利用する発火具です。わが国に鉄が伝わったのは弥生(やよい)時代のこと。当然のことながら鉄が普及するまでは火花式発火法はなかったか、あるいはあったとしても一般には使えない特別なものだったでしょう。火花式発火法に用いるヒウチガネが遺跡(いせき)などから多く出土するようになるのは、鎌倉(かまくら)時代以降のことです。

火花式発火法が主流となる以前の発火法が、マイキりを含(ふく)めた木と木をこすり合わせた際の摩擦熱(まさつねつ)を利用して火をおこす摩擦式発火法です。摩擦式発火法は、世界的にみれは、非常に多くの方法があります。そのうち、わが国で行われたと考えられるものは、キリモミ式、ヒモキリ式、ユミキリ式(図2)、それとマイキリ式です。

図2いろいろな摩擦式発火法(左からキリモミ式,ヒモキリ式,ユミキリ式)

図2いろいろな摩擦式発火法(左からキリモミ式,ヒモキリ式,ユミキリ式)

1970年代に、弥生時代の大集落として有名な静岡県の登呂(とろ)遺跡から出土したマイキリの部材とよく似た木製品を根拠(こんきょ)に、弥生時代の発火法がマイキリ式だったと考えられるようになり定説化しました。しかしその後、登呂遺跡出土木製品を発火具としてのマイキリと考えた場合、小さすぎて実際にはうまく火がおこせないこと、戦国時代に描かれた『七十一番職人歌合絵巻』などには、孔(あな)をあける道具として小型のマイキリが登場することなどから考えて、弥生時代のマイキリも勾玉(まがたま)などの石製装飾品などに孔をあけるための道具(穿孔具(せんこうぐ))だったと考えられるようになりました。一方で、伊勢神宮(いせじんぐう)などの記録から、江戸時代の終わりごろに儀式(ぎしき)用の発火具として大型のマイキリを使ったことがわかります。

以上のことから、発火具としてマイキりが使われるようになったのは、江戸時代の終わりごろ、神社などでの儀式に使われたのが始まりと考えられます。

では、鎌倉時代以前、火打ち石が普及するまではいったいどんな発火異が使われていたのでしょうか? 出土品などから考えて、キリモミ式やヒモキリ式、ユミキリ式が考えられます。

徳島県立博物館では、毎年、体験学習としてマイキリによる「火おこし」を行っています。マイキリを使えば、腕力(わんりょく)が弱い女性やこどもでも比較的容易に火をおこすことができるからです。その際には、マイキリは実は大昔の発火具ではないと言うことをはっきりと伝えています。それでも摩擦式発火法で火をおこすことはそんなに楽なことではありません。みなさんも、ぜひ一度「火おこし」を体験してみて、大昔の人の苦労を実感してみてはいかがですか?

おもな参考文献

『原始時代の火』 岩城正夫 1977年 新生出版
『火の道具』高嶋幸男 1985年 柏書房
『焚き火大全』 関根秀樹ほか編 2003年 創森社

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