早春のヒマラヤ照葉樹林帯(しょうようじゅりんたい)を歩く【CultureClub】
植物担当 茨木靖
皆さんはヒマラヤと言うと、どのような景色をイメージしますか? ちょっと意外ですが、実はヒマラヤの裾野(すその)は、私たちの住む徳島の低地に見られるのと同じ、照葉樹林帯となっているのです。では、一緒に早春のヒマラヤ照葉樹林帯の花々を見てみましょう。
ネパールの首都、カトマンズからバスに乗って東へ3時間ほどの所に、標高3573mの山があります。山の名前はカリンチョーク(Kalinchowk)、頂上にヒンズー教の有名なお寺がある信仰(しんこう)の山です。
まずは、標高2000m ほどの中腹(ちゅうふく)から歩き出します。辺りは、徳島県の平地で見られるのと同じ照葉樹林帯です。ウバメガシに似たカシの仲間Quercus semecarpifolia が多く生えています。この標高では、人々は畑を耕し、トウモロコシやコムギなどの作物を作っています。その様子は、徳島の里山で見られるごく普通の景色に似ています。畑の周りにはスミレ科のViolapilosa 、シソ科のCaryopteris odorata (図1)やScutellaria repens (図2)、そして、リンドウ科のGentiana pedicellata (図3)などが花盛りです。村はずれを歩いていて、ふと眉山を歩いているような錯覚(さっかく)に陥(おちい)りました。それは、ウラジロにそっくりなシダが群生(ぐんせい)していたからです(図4)。この他に、徳島でもよく見かけるイネ科のイタチガヤ(図5)などが見られました。実は、日本もネパールも植物学的には、同じ“日華区系区(にっかくけいく)”と呼ばれる地域に含まれ、とても似通(にかよ)った植物が生えているのです。ただ、もちろん違(ちが)っているところもあります。例えば、畑の周りを歩いていて、真っ赤なシャクナゲを見つけました。ネパールの国花ラリグラスRhododendron arboreum(図6)です。徳島ならばシャクナゲのなかまは高い山にしかありませんので、照葉樹林帯でシャ クナゲを見るとは、なんだか不思議な感じでした。
図 1 シソのなかま Caryopteris odorata
図 2 シソのなかま Scutellaria repens
図 3 リンドウのなかま Gentiana pedicellata
図 4 ウラジロによく似たシダ
図 5 イタチガヤ
図 6 ラリグラス Rhododendron arboreum
もう少し標高を上げてみましょう。照葉樹の森の中を歩き、標高2500mほどで、ツガのなかまTsuga dumosa(図7)とハイノキのなかまSimplocos sumuntia が多い森になって来ました。森の中では、ジンチョウゲ科のDaphnebholua (図8)が花盛りでした。この他にツゲ科のSarcococca wallichii(図9)、キク科のSenecio cappa なども花を着けていました。夏には霧(きり)に覆(おお)われるのか、樹(き)の幹(みき)にはユリやランのなかまが着生(ちゃくせい)しています(図10、図11)。ネパールでは、ランが咲さいていても誰も採らないそうで、そこかしこにたくさん花をつけていたのは印象的でした。
図 7 ツガのなかま Tsuga dumosa
図 8 ジンチョウゲのなかま Daphne bholua
図 9 ツゲ科の Sarcococca wallichii
図10 ユリのなかま Polygonatum punctatum
図 11 ランのなかま Pleione humilis
さらに、ぐんぐんと標高を上げて登ります。するといきなりモミのなかまAbies spectabilis の林に入ってしまいました。徳島ならば照葉樹林帯の上は、落葉樹林帯になっていますが、不思議なことにヒマラヤでは、照葉樹林帯と亜高山の針葉樹林帯との間に落葉樹林帯がないことがほとんどなのです。
ここで困ったことが起きました。それは雪です(図12)。ヒマラヤを訪れた2007 年は、大変な異常気象で、カトマンズではおよそ60年ぶりに雪が降ったそうです。予想外の大雪のため、残念ながら亜高山帯の入り口で先に進めなくなってしまいましたが、早春の花々に囲まれた、のどかなひとときを過ごすことができた旅でした。
図 12 雪中のモミのなかま Abies spectabilis の林