Q.古文書「飯尾常連奉書」は、以前展示されていた実物と形が違いますが、どうしてですか?【レファレンスQandA】
飯尾常連奉書(いのおつねつらほうしょ)
歴史担当 長谷川賢二
よくお気づきになりましたね。ご指摘の古文書は、美馬市の個人から当館がお預かりしているものです。過去の企画展などで何度か展示したことがありますから、記憶に残っていたのですね。ご覧になったときは、図1のようなものだったと思います。
図1 以前に展示したときの状態
図2 現在展示中の複製品
図3 実物の全体
この古文書は、文明4年(1472)の日付があり、阿波国守護細川成之(ほそかわしげゆき)(1434 ~1511)の奉行人である飯尾常連(いのおつねつら)が守護の命令(犬神を操る宗教者を捜して処罰すること)を伝えたものです。宛名の「三好式部少輔(みよししきぶのしょう)」は三好郡、美馬郡等阿波国西部の3郡の守護代であったようです。16 世紀に室町幕府の実権を握る三好氏の勢力伸長期の資料としても、興味深いものです。また、中世の犬神信仰に関する資料として、全国的にも珍しいものでもあります。
さて、本題に戻りましょう。現在、常設展の「中世の阿波」には図2のようなものを展示しており、こちらは複製品です。確かに、図1とは形が違います。
しかし、これには理由があります。図1は巻子(かんす)の一部で、全体を広げると図3のようなものです。文字が書かれた紙(a)と白紙(b)が並んで貼り付けられています。どちらも寸法はおおむね縦140mm×横460mmですし、紙質も同じです(紙の端がかなり傷んでいますから、現在の寸法が本来の寸法といえるかどうか分かりません)。おそらく、もともとはこれら2枚が1枚の紙だったと思われます。
このセットから、古文書の原形は、紙を横長に二つ折りしたもの(折紙(おりがみ))と考えてよいでしょう。何らかの理由があり、折り目で上下に切断したのでしょうが、それでも離れ離れにならないようにしておいたのでしょう。aの右側の傷みと、b の左側の傷みが対応するものとみて、上下につなげば、本来の形に近い状態にすることができると考えて製作したのが、現在展示中の複製品(図2)なのです。
博物館資料における複製品というと、製作時の状態とそっくりに作るものと思われているかもしれませんが、現在知り得る情報をもとにして本来の形に近いものを作る場合もあります。図2は、できるだけその両方を満たせるように作ったものです。こうした背景から、博物館資料や古文書に興味を持っていただければ幸いです。