震災後の世相(せそう)を風刺(ふうし)した戯画(ぎが)【表紙】
地学担当 中尾賢一
江戸時代には、地下の大鯰(おおなまず)が暴れて地震が起こるとの考えがありました。安政(あんせい)江戸地震(1855 年)は幕末の江戸で起きた地震で、大きな火災をともない、約1万人が亡くなる大惨事(だいさんじ)となりました。この直後に、地震や鯰を題材に世相(せそう)を風刺(ふうし)した戯画(ぎが)が江戸で大流行しました。これが鯰絵です。鯰絵からは、巨大な震災に見舞われながらも、落ち込んだり悲しんだりするだけではなく、風刺を込めたり、災害を笑い飛ばしたりする幕末の江戸庶民(しょみん)のたくましい姿をみることができます。
鯰絵「あら嬉(うれ)し大安日にゆり直す」では、地震を鎮(しず)める鹿島大明神(かしまだいみょうじん)が、大鯰を要石(かなめいし)でおさえつけており、鯰たちが謝罪しています。鯰たちは、「人にうらみはないが、ちかごろ泥鰌(どじょう)が人気で鯰料理の人気がなくなった。くやしくて動いたら思わぬけが人が出た。今後は砂の中にもぐっていて動きませんから、どうかご勘弁(かんべん)を」という意味のことを言っています。