博物館ニューストップページ博物館ニュース093(2013年12月1日発行)森崎家資料-御用絵師の粉本-(093号情報ボックス)

森崎家資料-御用絵師の粉本-【情報ボックス】

美術工芸担当 大橋俊雄

江戸時代には各地の藩(はん)で絵師が抱(かか)えられました。彼らのことを、絵画史では藩絵師とか御用(ごよう)絵師と呼んでいます。徳島藩でも、御用絵師の活動が18世紀ごろから知られています。狩か 野のう派の佐々木、矢野、河野(かわの) 、森崎(もりさき)家や、文人画(ぶんじんが)系の鈴木家、住吉(すみよし)派の人々などが作品を残しています。
当館は、森崎家の子孫の方が伝えていた絵手本や下絵類、作品の写しを約500点所蔵しています。絵手本の多くは、師家(しけ)にそなえられたけいこ用の絵を写し取った、いわゆる粉本(ふんぽん)です。大半が江戸の木挽町(こびきちょう)狩野家で使用されたものです。作品の写しは地取(じと)りと言われ、やはり作画の参考になりました。
森崎家はもともと狩野派でしたが、幕末期に住吉派に転じています。また粉本に記された留(と)め書(が)きを調べますと、森崎のほかに、佐々木や矢野家に伝わった粉本・地取類が多く、住吉派の分もわずかにあります。
なお当館の粉本・地取類には、『絵本目録覚(えほんもくろくおぼえ)』と題された1冊の目録が附属しています。この冊子は内容と年紀などから、文化3年(1806)前後に矢野家がまとめたと思われます。狩野派御用絵師の家が、当時どのような粉本類をととのえ、練習につかい、制作に生かしたかがわかります。

図1 水潜(みずくぐり)の柳(やなぎ)図

図1 水潜(みずくぐり)の柳(やなぎ)図

『絵本目録覚』に載る「水潜ノ柳 探幽」にあたるようです。大横(おおよこ)画面で皆がけいこに使う図だと記されています。狩野探幽(たんゆう)筆の原画を、徳島藩の御用絵師矢野栄教(えいきょう)(?- 1799)が写しています。

図2 銀杏(いちょう)におうむ図

図2 銀杏(いちょう)におうむ図

『絵目録覚』に載る「サ印 切形小押絵 典信公 三巻之内」1 巻のうち、「銀杏ニ音呼」の図です。狩野典信(みちのぶ)の原画を写した絵手本で、もと68図ありましたが、現状では後半の28図で1巻にまとめられています。

図3 群鶴(ぐんかく)図粉本と収納袋

図3 群鶴(ぐんかく)図粉本と収納袋

『絵本目録覚』の「郡鶴(ママ) 七枚折 一双 典信」にあたるようです。鶴をしたためた14枚の図を折りたたんで紙袋に納めています。狩野典信の原画を、図1とおなじ矢野栄教が明和5年(1768)に写しています。袋は時期が下がるかもしれません。

カテゴリー

ページトップに戻る