一宮(いちのみや)ってなんですか?徳島県にはいくつかあるみたいですが…【レファレンスQandA】
歴史担当 長谷川賢二
A.徳島県には、「阿波国一宮」と名乗っている大麻比古(おおあさひこ)神社が鳴門市にありますね。また、神山町には上一宮大粟(かみいちのみやおおあわ)神社、徳島市に一宮神社があるというように、一宮という名が付いている神社が複数確認できます。
一宮は、11世紀末~12世紀初頭に現れるようになり、12世紀後半までには、全国に置かれました。諸国それぞれを代表する有力な神社が、その国の守り神とされたもので、秩序の安定を祈願する祭祀(さいし)の場でした。
時代がくだると、郷一宮などと、国一宮をまねた神社が設けられることがありましたし、近世以降には伝統的な神社のランクとして理解されるようになっていきました。今も国一宮を称する神社があるのは、そうした意識があるからです。
阿波における一宮が現れるのは、久安(きゅうあん)2年(1146)の「河人成俊等問注申詞記」という史料が最初です。一宮の神宮と思われる「一宮司」が見られることから、阿波国一宮が成立していたと考えてよいでしょう。また、史料の舞台が名西郡神山町や徳島市国府町であることから、当時の一宮は鮎喰(あくい)川流域にあったとみうれます。具体的には、現在の上一宮大粟神社(神山町神領)がそうで、同社周辺から徳島市一宮町一帯に広がる社領「一宮」も成立していました。
その後、時期は不明ですが、上一宮が現在の徳島市一宮町にもまつられて、下一宮としての宮神社が成立すると、ここに国一宮が移されたと考えられています。
一方、 『大日本国一宮記』(14世紀成立の原本の訂正・増補本。16世紀に完成か)には、阿波国一宮として大麻比古神社が記載されており、南北朝時代以降に再び国一宮が交替したことがうかがえます。
現在、徳島県に複数の「一宮」があるのは、こうした歴史的な背景があるからなのです。
図1 上一宮大粟神社
図2 一宮神社
図3大麻比古神社