阿波藍商人が建てた熊本・本妙寺の常夜燈【情報ボックス】
あわあいしょうにんがたてたくまとも・ほんみょうじのじょうやとう
歴史担当松永友和
熊本市の本妙寺には、阿波藍商人が建てた常夜燈があります。本妙寺は、日蓮宗(にちれんしゅう)の寺院で、豊臣秀吉(とよとみひでよし)(1536-1598)に仕えた加藤清正(かとうきよまさ)(1562-1611)を祀(まつ)ることで知られています。もとは、天正(てんしょう)13年(1585)に父清忠(きよただ)を追福(ついふく)するため清正によって大坂で創建され、清正没後に現在の地に移されました。寺内には、清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)があり、藍商人が奉納(ほうのう)した常夜燈は、浄池廟拝殿(はいでん)の前に建てられています。
1熊本・本妙寺の浄池廟拝殿 左右に阿波藍商人が奉納した常夜燈が建つ(2013 年 12 月撮影)
常夜燈を観察すると、建立年は嘉永(かえい)3年(1850)11月、藍玉を取り扱う「大榮講」というグループが「海陸安全」のため奉納したとあります。その他に、藍玉を熊本に運んだとみられる船「金栄丸」、「発起世話人 宮島屋惣兵衛」、藍商人らの名前などが刻まれています。
阿波藍商人が、遠く離れた肥後国(ひごのくに)(現熊本県)の寺院に常夜燈を奉納したのは、阿波と肥後の間で藍の取り引きが行われていたためです。建立の具体的な経緯はわかりませんが、商人の信仰は一般的に篤(あつ)く、神仏への信心と商業経営は一体化したものとして捉(とら)えられていたようです。また、江戸時代中期以降の肥後国では、熊本近郊農村において肥後絣(ひごがすり)の生産が盛んになります。それに伴(ともな)い、阿波藍の需要が高まり、阿波と肥後との交流の結果、常夜燈が建立されたものと考えられます。
2 阿波藍商人が建てた常夜燈(部分)「永代常夜燈 阿州藍玉 大榮講」と刻まれている