改良唐箕「島本式唐箕」【CultureClub】
かいりょうとうみ「しまもとしきとうみ」
民俗担当 磯本宏紀
唐箕は、人の力で風を起こして、収穫した米や麦、豆などに混じったゴミや殻(から)を取りのぞく道具です。
今回は唐箕のなかでも改良唐箕の一種である「島本式唐箕」をテーマにします。これはどんな唐箕なのか、探ってみましょう。
島本式唐箕とは
写真1が、改良唐箕の一種である「島本式唐箕」です。この唐箕は徳島市八万町夷山(えびすやま)で使われていたものを、当館に寄贈してもらったものです。それぞれの柱には「島本式唐箕」「徳島市八万町法花(ほっけ)」「徳島農機工業謹製」、漏斗(じょうご)には「TOKUSIMANOKI Co.LTD」「島本式」と書かれています。まず、「島本式唐箕」とあるのは、この唐箕の商標です。「徳島市八万町法花」とは製作地、「徳島農機工業謹製」というのは製作者です。つまり、徳島市八万町法花にある徳島農機工業が製作した「島本式」という商標の唐箕というのが、今回タイトルにした「島本式唐箕」の正体なのです。ちなみに、「島本」というのは、製作所の代表者名です。
唐箕の改良と流通
古いものだと、江戸時代中期の紀年銘(きねんめい)がある唐箕が現存していますが、島本式唐箕は比較的新しいタイプの唐箕です。昭和25年前後に開発され、製作、販売されるようになりました。同様に、各地で新しいタイプの唐箕が開発され、製作、販売されるようになりました。徳島県域では、「島本式」のほかに、「中山式」「齋藤式」「日進式」「美馬式」といった唐箕があります。徳島市佐古の製作所が多いのですが、それ以外の地域のものもありました。
「島本式唐箕」のような唐箕は、それまでの唐箕に対して、改良唐箕、近代唐箕などと呼ばれます。その名のとおり「改良」を施されています。まず唐箕の横幅が小さくなり、そのことにより、1人でも運べるサイズになりました。次に、ハンドルと車軸をつなぐ部分にギアが装着されています。ハンドルを1回転させるうちに、内部の風車はおよそ3回転するように作られています。そして、穀物の落下やゴミの排出を調整するレバーが増えました。写真1の唐箕の場合、漏斗からの落下の調整、風量の調整、2つある樋口(ひぐち)の間の仕切り板、左端の吹き出し口の仕切り板がそれぞれレバーで調節できます。
写真1 島本式唐箕(当館蔵)
こうして改良された唐箕は、売り方も以前とは変わりました。島本式唐箕の場合、自転車の荷台に見本の唐箕を積んで運び、各地の農協を巡って営業をしていました。現在の美波町や海陽町などの県南部、美馬市やつるぎ町、三好市など県西部、鳴門から海を渡って淡路島にまで売り歩いていたようです。そのためか、現在徳島県内各地の博物館・資料館等で唐箕として収蔵されることが多いのが、この「島本式唐箕」をはじめとする改良唐箕です。
製作所の系譜
島本式唐箕の製作所の系譜はどのようなものだったのでしょうか。唐箕には「徳島市八万町法花」と書かれていますが、実際に製作所があったのは徳島市八万町川南(かわみなみ)の写真2の付近です。この付近は昭和20年代には家が少なく、水田が広がっていた場所でした。そこに、昭和20年代から40年代頃には、現在の当主の先代らが兄弟で農機具の製作所をつくって経営していました。当時は、唐箕、乾燥機、脱穀機などの主力商品のほか、建具も製作していました。後に場所を移して発展し、現在はシャッターやサッシをつくる会社に変わっています。
徳島市八万町川南に製作所が移る以前、現在の当主の2代前(祖父)の時代ですが、写真2の場所に近い徳島市八万町の法花橋北岸付近に製作所がありました。やはり、唐箕、水車など農具を製作していたのですが、ほかに箪笥(たんす)も作っていたようです。さらに前の4代前の時代、島本家は現在の徳島市八万町へ移ってきたそうです。それ以前は現在の徳島市福島付近に住んでいて、船大工だったと伝えられています。ですから、船大工だった家系が、後に箪笥など家具製作にたずさわるようになり、さらに水車、唐箕などいわゆる車屋のような業種も兼ねるようになり、そこから転じて農機具製作、建具製作へと変わってきたということになります。
写真2 かつて島本式唐箕の製作所があった付近のようす(徳島市八万町川南)
徳島県域およびその周辺で流通した「島本式唐箕」は、動力式、複合式の農機具の登場により、現役を退きました。「島本式唐箕」を製作した側に注目してみると、農具の技術革新と流通の歴史を読み取ることができます。