博物館ニューストップページ博物館ニュース099(2015年6月25日発行)阿南市北の脇海岸に埋められていた古銭(099号情報ボックス)

阿南市北の脇海岸に埋められていた古銭【情報ボックス】

考古担当 高島芳弘

この古銭は、平成24 年に阿南市の秋本沙枝子さんより寄贈されたものです。昭和30年代に秋本さんのご主人の係わった北の脇(図1)の浜堤(ひんてい)上での土取工事中に発見されたものの一部で、最初に工事の依頼主である尾崎巧さんによって見つけられました。

図1 古銭の発見された北の脇海岸の遠景(東上空から)

図1 古銭の発見された北の脇海岸の遠景(東上空から)

図2 正隆元宝

図2 正隆元宝

尾崎さんによると、約10,000枚が出土したのではないかということで、高さ40cm ほどの壺(つぼ)に入れられて埋められており、石灰の固まりで蓋(ふた)がされていて、壺は焼きが固く釉薬(うわぐすり)がかかっていたそうです。この壺は回収されず、古銭もその後、散逸したものが多く、現在は約4,000枚足らずが残っているだけです。

秋本さんから寄贈いただいた古銭は1,570枚で、その内訳は、明の永楽通宝が最も多く196枚あります。これに、元豊通宝、皇宋通宝、元祐通宝、熈寧(きねい)元宝、天聖元宝などの北宋銭が続き、唐の開元通宝も86枚と多くあります。南宋銭は少なく、ほとんど1、2枚しか確認されていません。永楽通宝とともに代表的な明銭である洪武通宝も2枚だけで、極端に少なく、北方民族王朝『金』の正隆元宝が1 枚確認されています。最も古いのは開元通宝(621年初鋳)、最も新しいのは永楽通宝(1408年初鋳)です。中国歴代王朝の古銭だけで、朝鮮半島、安南(ベトナム)、琉球の古銭や日本の皇朝十二銭は含まれていませんでした。

日本では、中世になると日宋貿易、日明貿易などを通じて大量の銭が中国から輸入され、これらが流通するようになります。その一部が壺や甕(かめ)などに入れられて地中に埋められることがありました。これらの古銭は埋納銭(まいのうせん)と呼ばれています。

徳島県内の大量埋納銭は、海陽町の大里(おおざと)古銭(70,088枚)、阿南市の長生(ながいけ)古銭(26,338 枚)、徳島市の一宮(いちのみや)古銭(17,178枚)が有名で、埋納時期によって大きく2つに別けられます。大里古銭、一宮古銭は、元代までの古銭しか含まない古い時期の埋納で、長生古銭は明銭や朝鮮通宝、琉球の古銭など15世紀代に初鋳された古銭も含み、新しい時期の埋納です。北の脇の古銭の埋納時期は後者に近いのではないかと思われます。また、埋納銭は川沿いや海岸近くで発見される例が多いのですが、北の脇古銭は、浜堤上での埋納ということで、大里古銭の立地に最も近いと思われます。
最近、尾崎さんからも古銭が寄贈されたので、この整理も進め、北の脇海岸の浜堤から発見された古銭の全体像をより明らかにしたいと考えています。

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