徳島県産オヤニラミの生物地理学的研究【CultureClub】
動物担当 佐藤陽一
オヤニラミ(図1、2)は日本では珍しいスズキの仲間(スズキ目ケツギョ科)の純淡水魚です。海の魚のメバルに体型が似ていることから「かわめばる」と呼ばれることもあります。
図 1 オヤニラミ(桑野川)。絶滅危惧 IA 類(徳島県)・県指定希少野生生物。
図 2 植物に産み付けられた卵を保護するオヤニラミのオス(桑野川)
このオヤニラミは、京都府以西の本州から九州の北部、そして四国東部、国外では朝鮮半島南部にいます。四国では香川県と徳島県の一部に分布し、香川県では現在、金倉川水系のごく狭い範囲にかろうじて生き残っているにすぎず、まさに絶滅寸前です。
オヤニラミの徳島県における分布が変わっていて、桑野川(図3)を中心として北から那賀川水系の一部、福井川、椿川に分布し、本州により近い吉野川や勝浦川には分布していません。オヤニラミ全体から見ると、徳島県の生息地は分布の南東端にあたり、しかも飛び地ということになります(図4)。このような分布なので、はじめ人為的な移入を疑ったほどでした。しかし、分布と地形との関係を詳しく見ていくと、水系どうしが分水嶺(ぶんすいれい)で接しており、地史的に関連のありそうな場所に分布していることがわかります。
図 3 オヤニラミ生息地(桑野川、新野町)。水際に植物が繁茂し、茎や根が張りだしているような環境を好む。
徳島のオヤニラミは、もともとは本州の淀川や播磨灘流入の水系起源だと考えられます。というのは、氷河期には今より海面が100数十メートル低かったので、瀬戸内海から大阪湾、そして紀伊水道のほとんどは陸上となり、現在の紀伊水道の場所に川が流れていたに違いないからです。当時、那賀川や桑野川、もしかすると福井川と椿川も紀伊水道を流れていた川に合流していたかもしれません。そうだとすると、その合流していた川を通じて下流側からオヤニラミが分布を拡げた可能性があることになります。あるいは、どれかの川(例えば那賀川や桑野川)だけに入って、他の河川にはその後に二次的に分布を拡げた可能性も考えられます。
例えば、福井川はかつては今のような姿ではなく、上流は桑野川の一部で、下流は小さな川だったらしいのです(故・寺戸恒夫文理大学教授私信)。桑野川の支川に廿枝(はたえだ)川という川がありますが(図4の青点線部分)、現在は広い谷底平野をちょろちょろ流れる小川にすぎません。この廿枝川はかつては現在の福井川の上流につながっていた可能性が高いのです。おそらく氷河期の海面が低かった時期に東から延びてきた古(こ)福井川に河川争奪されて、現在の福井川上流域が取り込まれたのでしょう。その時に桑野川水系に生息していたオヤニラミが福井川に分布を拡げたのかもしれません。残念ながら、徳島県の南部地域は地盤の隆起速度が速いため、廿枝川以外では河川争奪の痕跡を見つけることはできませんが、他の河川どうしでも同じようなことが過去に起こったかもしれません。
生物がどのように分布域を拡げたのかを明らかにする研究を、生物地理学的研究といいますが、地形学的・地質学的証拠に頼らずに探る方法として、細胞の中にあるDNAを分析する方法があります。DNAを構成する4種類の塩基という物質は、時間とともに少しずつ突然変異を起こして変わっていきます。その塩基配列を川ごとに比較すれば、遺伝的にどれくらい違っているか、そしてそれを分子時計に見立てると、川ごとの集団がいつ頃分かれたのかがわかるというわけです。現在、筆者は徳島のオヤニラミについて、他の研究者と一緒にこの方法で研究を進めているところです。
ところが、DNAも部位によって変異の速度が速いところもあれば、遅いところもあり、集団が分かれた時期に応じて適切な部位を探し出して分析しなければなりません。それだけでなく、集団の特性によっても分析の精度が左右されてしまうので厄介です。
生物の元のままの集団というのは、生物の進化の歴史が刻まれた貴重な自然遺産でもあります。ところが、生息環境が悪化すると、集団のサイズが縮小し、それに伴い遺伝的多様性が減少するので、オヤニラミを絶滅の危険にさらすと共に、分析を困難にします。これに加えて他河川のオヤニラミが放流されたとしたら、遺伝子汚染が生じ、河川ごとの固有なオヤニラミが消滅し、オヤニラミ全体としての遺伝的多様性が減少し、これも分析を困難にします。
図 4 徳島県におけるオヤニラミの分布(国土地理院電子国土 Web 画像を加工)。那賀川の支川の岡川には 1960年代まで生息していた。中山川についてはいつまで生息していたか不明だが、少なくとも 1980 年代後半までには絶滅した。福井川上流部は、福井川ダム建設(1995 年完成)により分布域が縮小。桑野川支川の南川には本州産の集団が生息しており、生息範囲の詳細は現在のところ不明
実際、これまでの徳島県産オヤニラミのDNA調査で、椿川に桑野川の遺伝子が混入していること、桑野川支流の南川に本州産のオヤニラミが放流されていることがわかっています。このような遺伝子汚染は、いったんなされると取り返しがつきません。オヤニラミに限りませんが(メダカでもホタルでも一緒です)、他の場所で採集した個体や飼育個体を野外に放出することは慎みたいものです。