博物館ニューストップページ博物館ニュース104(2016年9月25日発行)Q.なぜ埴輪は古墳の上に飾られるようになったのですか?(104号QandA)

Q.なぜ埴輪は古墳の上に飾られるようになったのですか?【レファレンスQandA】

考古担当 岡本治代

A.埴輪(はにわ)は、主に3世紀後半から6世紀に、古墳(こふん)(土や石を盛って作られた、小山のような形のお墓)の上に飾られた焼き物です。筒型のもの(円筒(えんとう)埴輪)、人や動物、家などを表したもの(形象(けいしょう)埴輪)などがあります(図1)。徳島県立博物館の常設展示室でも、小松島市前山遺跡の埴輪を常時展示していますので、ご覧になったことがある方も多いかもしれません(図2)。

図1 大阪府高槻市今城塚古墳(6 世紀前半)の復元された埴輪群

図1 大阪府高槻市今城塚古墳(6 世紀前半)の復元された埴輪群

図2 県立博物館の小松島市前山遺跡の埴輪(6 世紀)

図2 県立博物館の小松島市前山遺跡の埴輪(6 世紀)

 

さて、この埴輪、いったいなぜ、古墳の上に飾られるようになったのでしょうか。

養老4年(720)に成立した歴史書『日本書紀(にほんしょき)』には、以下のような内容の文章があります。



垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、皇族の死後、陵墓(りょうぼ)の周りに群臣を埋める殉死(じゅんし)の制度に心を痛めた天皇が、皇后日葉酢媛(ひばすひめ)が亡くなった際に、群臣に策を尋ねた。すると、野見宿禰(のみのすくね)が、土部(はじべ)(朝廷に土器などを献上した部民(べみん))に命じ、粘土で人や馬などを作らせて献上した。これを名付けて埴輪あるいは立物(たてもの)といい、以後天皇は家臣のかわりに埴輪を用いて殉死をやめることとした。


しかし、最初に作られた埴輪は円筒埴輪で、人物埴輪が現れるのは、古墳が作られるようになってから200年もたった、5世紀中頃のことです。したがって、この日本書紀のエピソードは、野見宿禰をたたえるために創られたものだといわれています。

現在の研究によると、埴輪のルーツは、弥生時代の終わり頃の吉備(きび)地域(現在の岡山県)の墳墓(ふんぼ)に飾られた、お供え用の壺(つぼ)(特殊壺(とくしゅつぼ))とそれをのせる土製の台(特殊器台(とくしゅきだい))のセットだといわれています。吉備の特殊壺と特殊器台が古墳を飾る土器として採用され、形が簡略化されることによって円筒埴輪や朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ) (図2右端)が創出されたと考えられています。)

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