博物館ニューストップページ博物館ニュース107(2017年6月25日発行)「正雪紺屋」で使われた阿波藍-阿波と駿河を結ぶ藍-(107号情報ボックス)

「正雪紺屋」で使われた阿波藍-阿波と駿河を結ぶ藍-【情報ボックス】

歴史担当 松永友和

「由比正雪(ゆいしょうせつ)」と言えば、高校日本史の教科書に必ず登場し、慶安(けいあん)事件(由比正雪の乱)を起こしたことで有名です。慶安4年(1651)7月に、兵学者の由比正雪(1605?~1651)が中心となり、幕府転覆(てんぷく)を謀(はか)ったとされます。しかし、確かな証拠(資料)に乏(とぼ)しく、謎(なぞ)の多い事件とされ、正雪本人についても由比(現静岡市清水区由比)出生説と駿府(すんぷ)(現静岡市葵区)出生説があります。

ところで由比には、由比正雪の生家との言い伝えをもつ紺屋(こうや)(染物屋(そめものや))があります(図1)。400年にわたり代々紺屋を営み、屋号を「正雪紺屋(しょうせつこうや)」と言います。現在、藍染めは行われていませんが、店の中には貴重な藍甕(あいがめ)や染物道具などが残されています(図2)。

図 1 由比正雪の生家との言い伝えをもつ「正雪紺屋」(2017 年 3 月撮影)

図 1 由比正雪の生家との言い伝えをもつ「正雪紺屋」(2017 年 3 月撮影)

図 2 「正雪紺屋」の店内(2017 年 3 月撮影)藍甕や染物道具が残されている

図 2 「正雪紺屋」の店内(2017 年 3 月撮影)藍甕や染物道具が残されている

 

さて、最近の資料調査により、「正雪紺屋」で使われた藍は「阿波藍(あわあい)」であることがわかりました。平成28年度に公開された井上家文書(徳島県立文書館収蔵)のなかに「藍売帳」(イノウ07229)という古文書があり、その帳簿に「由比宿本町 紺屋傳左衛門殿」と記されています(図3)。井上家は、小松島浦に拠点を置き、駿河国沼津などに支店を所持した藍商です。由比宿(ゆいしゅく)本町紺屋伝左衛門は、江戸時代後期における「正雪紺屋」の当主の名前です。井上家文書「藍売帳」によれば、井上家と紺屋伝左衛門家は定期的に藍の取引を行っていたことがわかります。つまり、井上家にとって伝左衛門家は、「阿波藍」を販売する得意先だったようです。

図 3 井上家文書「藍売帳」(イノウ 07229)(徳島県立文書館収蔵)由比宿本町紺屋伝左衛門(「正雪紺屋」)との取引内容が記されている

図 3 井上家文書「藍売帳」(イノウ 07229)(徳島県立文書館収蔵)由比宿本町紺屋伝左衛門(「正雪紺屋」)との取引内容が記されている

詳細な取引実態については、さらなる調査・分析を要しますが、藍商井上家は広範な取引先を確保していた事がわかります。「藍売帳」には駿河(するが)を中心に、171の取引相手の名前(その多くは紺屋と考えられる)が記されており、「正雪紺屋」は、そのうちの1軒だったのです。

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