写真「阿波名物板東の獅子舞」と鳴門市の獅子舞【館蔵品紹介】
民俗担当 磯本宏紀
2016年7月、徳島市国府小学校から明治末期~昭和初期の写真を収めた写真帳が寄贈(きぞう)されました。この資料は同校区在住だった郷土史家が撮影(さつえい)したものとして、校長室に保管されていました。その中に、「阿波名物板東の獅子舞」というタイトルが記された写真があります(図1)。写真帳は「戦時関係写真」(図2)という表題で国府小学校が整理したもので、戦争関係の写真のほか、寺社や町並みの風景写真、阿波踊りの写真、人形師の写真などが収められています。
図1 「阿波名物板東の獅子舞」(当館蔵)
図 2 「戦時関係写真」写真帳(当館蔵)
図1からは大正~昭和初期頃の「板東」の獅子舞(ししまい)の様子がわかります。旧板東(ばんどう)町(現鳴門市大麻町板東地区)のいずれかの地区の獅子舞ということになりますが、その範囲内で現在確認できる獅子舞伝承地区には桧(ひのき)、萩原(はぎわら)、川崎(かわさき)などがあり、地区を特定することはできません。獅子2頭、拍子木(ひょうしぎ)3人、太鼓役なのかバチをもった子ども2人を確認することができます。
ちなみに、現在の鳴門市の獅子舞は、獅子2頭(頭と尻(しり)に1人ずつ入る)、大太鼓2人、カンコ(小太鼓)2人、拍子木1人ないし数人で構成されます(図3)。このほか、地区によってはチョウコと呼ばれる長い笹(ささ)竹の先に蝶々(ちょうちょう)の折り紙をつり下げたものをもった幼児が2人加わるところもあります。こうして見ると、図1とほぼ同じ構成の獅子舞が受け継(つ)がれてきたことがわかります。
図 3 鳴門市姫田の宮尾神社での獅子舞(2015 年 10 月 11 日撮影)
ところで、獅子舞は祭りの際に神社や御旅所(おたびしょ)などで奉納(ほうのう)されるものですが、祭りの前後にも獅子舞の一団が家回り(ヘンロ、ノキヅケなどとも言う)をして各家の玄関先や庭で獅子を舞わします。図1は民家の庭で撮影されたもののようで、家回りの一場面だと考えられます。現在では見られないのが、縄を四角形に張って場を区切り、その内側で獅子を舞わすというやり方です。縄で仕切った外側に観衆が立っています。