高知県南国市 比江廃寺跡の瓦【CultureClub】
考古担当 岡本治代
1. はじめに
比江廃寺跡は、高知県南国市にある7世紀終わり頃に創建された寺院跡です。高知県中央部を流れる新改川(しんがいがわ)右岸の中位段丘先端部に立地しています(図1)。
筆者は、飛鳥・奈良時代(7・8世紀)の四国の屋根瓦を研究テーマにしており、今年度から、高知県内の古代瓦の調査を行っています。そこで今回は、最近調査を行った南国市比江廃寺跡の瓦についてお話したいと思います。
図1 比江廃寺跡の位置
2. 文様
古代の屋根瓦は、丸瓦と平瓦を交互に葺いており、軒先には「軒丸瓦(のきまるがわら)」「軒平瓦(のきひらがわら)」という瓦が葺かれました。軒丸瓦には蓮の花をモチーフにした文様(蓮華文(れんげもん))など、軒平瓦には植物の茎や蔓つるなどが連続する文様(唐草文(からくさもん))などがあしらわれており、時代や地域性、その寺の性格などが反映されています(図2)。
図2 複弁蓮華文軒丸瓦(左)・均整唐草文軒平瓦(右)
比江廃寺跡の瓦は、「法隆寺式(ほうりゅうじしき)」とよばれる文様をもつものと、朝鮮半島の瓦に似た文様をもつものがあることが以前から指摘されています。図3-4・8が法隆寺式、1・6・7が朝鮮系の瓦といわれています。「法隆寺式」は7世紀後半に日本で創出された文様で、列島内の多くの地域の瓦に採用されました。一方、朝鮮系瓦はこの時期に主流の文様ではありません。このような非主流派の文様を持つことが、比江廃寺の瓦の特徴といえるでしょう。
また、土佐国内の他の寺院の瓦との関係については、6が土佐国府跡(とさこくふあと)(古代土佐国の役所跡)をはさんで比江廃寺跡の南西方向に位置する土佐国分寺跡(とさこくぶんじあと)(8 世紀に建立された国営寺院)の瓦と同じ笵型(はんがた)で作られていることが従来から知られています。
3. 製作技法
次に、比江廃寺跡出土瓦の製作技法のうち、特徴的なものをみていきましょう。
図3 比江廃寺跡出土軒瓦の文様
軒丸瓦は、いずれも瓦当(がとう)(文様のある部分)と丸瓦を別々に作って組み合わせる「接合式」とよばれる技法で作られています。接合式の軒丸瓦の場合には、瓦当と丸瓦部を組み合わせるため、両者がしっかりくっつくように、丸瓦の先に加工を加えている場合がよくあります。比江廃寺の場合は、図3-5に、丸瓦先端にヘラのような工具で刻みを入れる技法、6に丸瓦の先を斜めに切り欠いた後に刻みを入れる技法(図4)が見られます。この技法は、土佐国分寺跡の同笵瓦(どうはんがわら)とも共通しています。
図4 丸瓦先端加工の痕跡.ヘラ状の工具で刻みを入れている
軒平瓦の平瓦部の成形技法は、大きく分けて「桶巻(おけま)き作り」・「一枚(いちまい)作り」とよばれる技法があります。桶巻き作りでは、桶のような形をした木型に粘土の板や紐を巻き付けて、筒型にし、4等分にすることで一枚の平瓦が作られます。一方、一枚作りの場合には、かまぼこ型の木型の上に粘土をのせ、形を整えることで、1 枚の平瓦が作られます。桶巻き作りは、6世紀末に日本で瓦作りが始まって以来の技法ですが、一枚作りは8世紀の平城宮(へいじょうきゅう)造営をきっかけとして導入された技法といわれています。比江廃寺の場合には、図3-12は桶巻き作り、11は一枚作りです。
4. 瓦から考える比江廃寺の性格
さて、以上の瓦の特徴から、比江廃寺がどんなお寺だったのか考えてみましょう。
比江廃寺を建立した豪族を推定する上で注目されるのは、朝鮮系瓦の多さです。具体的にどのような豪族が比江廃寺を建立したのかは特定できませんが、比江廃寺を建立した豪族と、渡来系氏族や渡来系要素の強い地域との関係を物語っています。
製作技法については、図3-6に見られる、丸瓦の先を斜めに切り欠き刻みを入れる技法が、土佐国分寺の同笵瓦と共通している点が重要です。図3-6は、同じ工人集団によって製作され、土佐国分寺と比江廃寺に供給されたと考えられます。また、軒平瓦の中に一枚作りで製作されたものがあることから、8世紀以降の時期に、いずれかの地域から新規の技術が導入されたことがわかります。つまり、この時期に、比江廃寺の再整備や補修など、建物を改編する事情が生じたといえます。
従来から、比江廃寺の性格としては、①土佐国に付属する寺院と見る説と、②7 世紀に豪族によって建てられ、8世紀に土佐国分尼寺(とさこくぶんにじ)(国分寺と対になる尼寺(あまでら))に転用された、と考える説がありました。比江廃寺と国分寺の瓦の共通性や、8世紀に平瓦一枚作りという新規の造瓦(ぞうが)技術が導入されていることなどから考えると、②の説は魅力的です。しかし、通常、国分尼寺には塔が建てられないにもかかわらず、比江廃寺では8 世紀に塔が建てられているなど、つじつまがあわない点もあります。高知県内の他の寺院の瓦を調査した上で、改めて検討したいと思います。